お金儲けの競馬の方法

願い事は他人には話さない!ウォークマン工場の社員として使命感!

僕は中途の高卒社員の底辺の馬鹿やろうだった。

ウォークマン2が流れていた工場のベルトライン!
僕の使命感は世界中の人々にウォークマン2を通じて
笑顔にすること!

その為には
ウォークマン2の価値観を広めることだった!

僕は入社した当時からスキーに一人で行ってた!
ウォークマン2を購入して価値を広める作業を会社以外で
勝手に行った馬鹿です。

お金ももらわないで
交通費やリフト代は今感じるのは
遊びですが僕はウォークマン2を広める使命感に燃えていた!

1981年の年末から1982年の春先まで
毎週のようにスキー場に足を運んだ!

そうなえばといえば
ユーミンの曲をメタルカセットに録音して
最高のアナログ音でスキーをしていたのだ!

リフト待ちではカセットを裏返す作業をしていた
リフトでウォークマン2を高い所から落としたくないからね。

願い事は他人には話さない
僕は世界中のスキーヤーにウォークマンをつけてもらいたかった

ウォークマン工場で自信ある製品の価値を知らせたかったのかな僕は!

ウォークマンのお客様をスキーヤーに設定していた僕!
われわれの顧客は会社とは別に僕が勝手にドラッカー思考で動いていたのだ!
ほとんどが大学生であった。

親のすねをかじった大学生!
高校卒業祝い!
大学入学祝い!
就職祝いもあったのかな!

願い事は他人には話さない僕でした!

僕たちのお客様になるスキーヤーはほとんどが
こう言った
卒業祝い
入学祝い
親から何がほしい?
僕はウォークマン!
私はウォークマン!
こうしたお客様をコンセプトに僕が勝手に行っていた!

これ今言えるけど
当時から誰にも話さなかった。

スキー行った同僚にはわれわれの顧客を考えるとこんなところかなって
はなしちゃったかな・・・・・・

そして
親からプレゼントで買ってもらった学生さんたちの喜んでスキーをする姿を
僕は苗場スキー場でたくさんの人間の笑顔を見ました!

そして
数年後
海外のスキー場が紹介する番組で
ウォークマンをする若者の姿
ほぼ全員のスキーヤーがウォークマンをしていた!

僕が中途入社したことで
ウォークマン工場がドラッカー思考で僕の真似をする人間がかなり増えた!

僕の使命感は何なのか?
僕のお客様となる人間は誰なのか?
お客様にウォークマンの価値は何なのか?
僕のスキー場での計画は世界中のスキーヤーにウォークマン
僕の会社以外で行った成果は何だったのか?

高卒の中途の底辺の社員が
1981年秋に入社して
ウォークマン工場で会社以外で趣味でウォークマンを広めた実際のお話です!

サーファーの馬鹿な振りをした
底辺の社員がまさか
ここまで考えて会社以外で行動したとは・・・・・

これは僕が昇級試験で使おうと暖めていたのですが
まるっと一緒にスキーに行っていた上司が発表してしまって
僕はずっと昇給できなかった話です。

人ないアイデアで昇級するなよ!
今でも忘れなれない出来事でした!

ドラッカー思考でもないのに
アイデアを盗んでプレゼンしても
所詮、長続きできるアイデアは出せずに
会社を退職してしまった。

とっても残念でマジで笑顔を失った僕がいました。

同時進行で
今度はウォークマン工場内で一人で改革を企んで
世界一の理想の工場をめざしはじめたのが
1981年に中途採用で入社した底辺の馬鹿な振りをしてた僕です。

いくら作っても価値を知ってもらって
購入者を増やす作業をしてたのが
スキー場の学生さんたちでした。

マジでウォークマン2のヘッドホンをする人間は
何度も言いますが
僕一人だけでした!

いわゆる
サクラ!
ウォークマン工場のさくら!

そして僕のアイデアを盗んだのも
一緒にサクラをして滑っていた人です!

何が凄いって!
ウォークマン工場の多くの社員を僕が巻き込んで
サクラをスキー場で出没していた
ウォークマン工場スキーチーム!

何も考えていない振りをしていた僕でしたが
ドラッカーマネジメントをしていたんです!

たぶん誰も気付いていない!
だって
僕の給料は底辺の社員のお給料しかもらっていなかったから~~~~!

まさか僕が
ドラッカーマネジメントをしているとは工場全員が知らなかったと思います!

1981年からウォークマン工場が変わったのは僕が裏で動いていました!
そう
裏で
ドラッカーマネジメントをしていたんです!

各部署と衝突もしたよ!

でもそれがないか?
どうした?

衝突すると
あなたは会社の方針し背くのですか?

社是とか
経営計画とか

全社員が共有していると思います。
会社の社長の方針とかが
どの会社でも張り出していると思います!

僕は馬鹿な振りをしているが
僕の保険でもあるんです!

ドラッカーマネジメントは
僕の背中を見ている同僚が
僕の行動をみて真似をしてもらうことでした。

僕一人では行動範囲が高が知れている!
その為に大勢の社員を巻き込んで僕の変わりの分身をたくさん作っていたんです!

それまで
改善をしない工場でした!
改善をすることはするが一年に2回改善する工場でした。
日本全国がQC活動っていっていて大行事でした!

これは僕は経営者のマスターベーションで気持ちよくなっている^^
ばっかじゃね~の???????

そして
社員はQC活動は嫌々行動している!
会社を辞める人間は多かったのはQC活動が原因です。

これ日本全国で同じ現象を何度か見たよ!

会社総出の改善行動で社長賞をもらうチャンスでもあった!
年に2回しか改善をやらないこのスタイルの会社が多かったかな!

僕は裏方でQC活動で社長賞クラスの改善をひとりでぼんぼん打ち上げていた!

改善をしたことがわからないように仕事をしていました。
僕の仕事をしているところは問題が起こらない!

そう
スムーズに流れるように日々改善をしていたから・・・・・

プレゼンできる人間が偉いって言う評価だったかな!

僕もこう見えても
東宝映画のオーディションに合格した人間です。

目立ちたい人間でもあるのですが
アイデアを数多く出して
世界一の理想の工場を目指していました!

年に2回の改善で満足する経営者さま
マスターベーションして気持ちよくなっていらっしゃる!
馬鹿か?
大丈夫なのか?
この団体組織??????

QC活動やその後に出現した
生産革新軍団!
今度は軍隊みたいなお笑い集団でした!

東宝映画のオーディションに合格した人間にとっては
演技するのは持ってこいの出来事でした!
僕はこの生産革新をするようだったら会社を辞めると決心していた!

ドラッカー思考からみると
改善をする人間を増やしているのだから
僕は笑いながら尊敬の目で見守っていました!

ドラッカーのマネジメントをしているのと同じだからです!

僕がスキーヤーを増やす時に使ったサクラの役に匹敵します。

1981年に入社して
ドラッカー思考で仕事や仕事以外でもウォークマンの価値を上げていたのは
僕一人だけでした!

アメリカ的経営では現在ではGAFAが日本に入ってきて有名ですよね!

SONYが頑張ってほしいよね!
東宝映画などとコラボが新しい価値を生むと思います。

警察とSONYとか

消防とSONYとか

いろんなコラボで新しい価値を作ってくださいね!

あなた方の顧客は誰ですか?
使命は?
その商品の価値はどこですか?
成果は売り上げでなく
どんだけの顧客に喜んでいただいたかなのです!

当時、苗場スキー場のスキー客はウォークマンをしてニコニコ滑る喜んだ顧客が
スキー客の半数以上になっていました。
売り上げで成果ではなく
売り上げても顧客が価値がわからないでスキーに持ってこないのでは
僕の成果は上がっていなかったのですが
実際にスキーヤーが世界中のほとんどウォークマンをするスタイルになった!

これほどうれしいことはなかった!
ものすごい貢献をした僕ですが
僕のお給料は底辺の社員の金額でワーキングプアそのものでした。。

が~~~ん!

SONYの上層部では黙っていても売れたと勘違いしていたんじゃ~なのかな^^

底辺の中途社員がドラッカーマネジメントでウォークマン価値をあげていたんですよ~~~!

ウォークマン工場が何が凄いかって言うと
当時
ボンソン電子!

1981年秋に中途社員で入社した底辺の社員が僕!
僕はドラッカー思考なのでSONYルールと見えない敵と戦っていた!

僕は自由に世界一の理想の工場を目指して改善を毎日していた!

ある日
他部署の人間に
改善をお願いに行ったらものすごく怒られた^^
お~~?
面白い社員もいるんだな~?
喧嘩上等の僕!
暴力無しでその社員と衝突した!

お前くびだ~~~って罵声を浴びた僕!
人を怒らせるのは職人の父から伝授してもらっている喧嘩の仕方を
ためしに試した!
マックスで赤い顔して相手は怒り出した(笑)

絶対に首にしてやるからな~~
脅された!

その後
会社内で僕の首にするのか?
責任者たちが集まって会議の議題に上がったと思われる!
でも
僕は改善を頼んだだけなので首にしたいが保留!

ヘリで盛田さんが来る予定でなかったが
時間ができたから本社からヘリで飛んできた!

僕のドラッカーマネジメントが問題になっちゃったようでした。

僕の上司があなたの首は盛田さんが帰ってから発表があるといわれて
残業時間待っていた。
会議が終わり

上司からあなたの改善した内容の通りになります。
首ではありませんと言われて一安心した。
マジで明日から来ない覚悟でいたので・・・・

SONYの方針で
自由闊達にして愉快なる理想工場
井深さんの決めたのをネットで見ました

これ僕が1981年にこの工場を世界一にするために自由に改善して
理想の工場にするという目標と同じだった。

僕の首は盛田さんが
SONYの方針で
自由闊達にして愉快なる理想工場を目指していると言ってくれたのかと思います。

一度でいいから本社の盛田さんにあって
アメリカ的経営を話したかった。

最近になって
ドラッカーと会っていた盛田さん!

僕が中途社員の底辺の馬鹿な振りした人間が
まさか
ドラッカーマネジメントを仕掛けていたことは
盛田さんだけは見抜いていたことでしょう!

ではまた


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