お金儲けの競馬の方法

ドラッカーからイノベーターまでのお話の続き!

ドラッカーである前にイノベーターとしての教育を父から受けていた。

父は建具職人で木工職人で家を造るための土地ならしから家を作る建具、ペインター全部をできる人でした。

小さい頃、足踏みの自動車のおもちゃがあったのですが、仕事の合間につくってやっからな~!
出来てきました。

それがおもちゃの足踏みの部分がなかったから
1台安いものを購入して
足踏みの部品だけを取ってあとは捨てたそうです。

そして上がってきたのが
真っ赤なジープ型の足踏みの自動車^^

世界に一台しかありません!!!

それは朝霞の頃のお話です。
神社の横のお家でした。

ケイトウとオシロイバナの赤い花が咲いていた記憶が今もあります。

小さいながら
父と母のお話を毎日聞いていました。

古い考えの職場のようで
いずれその考えの職場を替えるように母が話していた記憶があります。
職場の改革のお話です????

大工道具を毎日自転車につけて通っていた大工に
お父さん!!
上司のまるまるさんのようにペンひとつで働けるようになるといいね!!

実家の田舎に引っ越してからもそれは変わらず!
わたくしは引っ越してきた時は幼稚園児!
幼稚園に転入園した時、
ゼロ戦の真似をする同じ年の奴が近寄ってきました。
なんか?
唾をかけてきたのです??
それって今考えればいじめでした!

唾はわたくしに命中しなかったのですが
何度も同じことをするので
ぶ~~~~~ん!
っぺ!
ぶ~~~~~~~~ん!
っぺ!
面白い歓迎振りに
遊んで欲しい様子で

私もその相手に
ぶ~~~~~~~~~~~~~~!
っぺ!
命中!!!!!

まだ!
ぶ~~~~~ん!
っぺ!
ぶ~~~~~~~~ん!
っぺ!

また私も
ぶ~~~~~ん!
っぺ!
命中!

相手は参った様子でした。
田舎っておもしろいあそびがあるな~~^^

最高!!

幼稚園の先生が紹介する前から
園児と仲良くなっていました(笑)

大人になって
同級会で顔を合わせるといつも
ゼロ戦ゴッコの話で
お前に唾をかけられたって?
それお前が仕掛けて来たんじゃあないかって^^

今回の同級会で顔を見て元気でいました。
話はしなかったのですが
たぶん
話すと唾のかけたかけなかったの・・・・

元気でいて何よりです!

そして
幼稚園から小学生になり
草野球ではぴっちゃ~をやらせていただき
目立つ存在でした。
2こ上の上級生にお前は生意気なんだよなって
数人から狙われる存在でした。

草野球ではぴっちゃ~らいな~で
顔を目がけてくる上級生グル~ぷのち~む!!!
小学生っていっても低学年ち~むで
ソフトボールでしたかな!

本格的なバッタ~がいて
いつもお前を狙う合図でばった~を私に向けられました!
狙いはぴっちゃ~らいな~!!!
何度も私がキャッチしてアウトでしたが
相手も練習を重ねて
鼻に当てられ2度ほど鼻血が止まらなくなって
血管が切れたようで
1週間止まらずにお医者様を呼んでぶっ太い注射をされました。
たぶん血小板入り・・

そして
お昼の給食で牛乳を飲むと鼻血が出るようになり
牛乳禁にしてもらいました。

そして
取っ組み合いの喧嘩まで・・・・
上級生にぴっちゃ~していてひっこしてきたばかりで生意気なやつだって

みなさま巨人の星に夢中になっていた頃です。
ひとり本格的なバッタ~がいましたが甲子園の土を踏んだようでした。
だよな~!
花形満のようなやつだった!

だから
職人の父は喧嘩を教えてやろうか?
その時はもう教えてもらっているし!

いくら上級生でも勝つ自信はありましたが
上級生のメンツを優先にしてあげて
負けるような形でお終!

でも
父には喧嘩をもう一回して勝って来いって!
勝つまで家に入れないって???
酒が入っているのでそうかいそうかい
わかったよ!
一回家を出ましたがだって
おとうさん!
家しらね~よ。
そっか!

職人の父もこの土地で
同じ体験をしていたそうです。
わかっていたようでした。

でもその経験が組織を変えることに大事な要素があったことを
父は知っていました。

だから
喧嘩したらぜって~負けるな!
上級生でも勝て!
の教育は
会社内でも仕事で喧嘩が出来なければ
上司が間違っていても
何にも言えない人間です。

喧嘩をしろって
大人になってわかりました。

父の教えは?
たぶん母の知恵ですけどね!!

イノベーター教育の家庭であるべき姿が見えたら
それをやらずにいられない!!!
下町の江戸っ子教育です!
てやんで~べらぼうめ~!の世界です。
売られた喧嘩は買わずにいられない。
困っている人を見ると自分のことは二の次で助けたくてなる性分!

イノベーターっていうより
下町の江戸っ子教育なのかもね。

子供の世界も会社組織と同じでした。
草野球でソフトボールでしたが
ピッチャーになるにも
ピッチャーになるような出来事をありました。
それは幼稚園児から上級生より石をなげて一番遠くに飛ばせたのでした。
コントロールもあって
お前はぴっちゃ~な!!
打たれれば俺達が後ろで捕ってやるから打たれていいので
お前が投げろって・・・
キャッチャ~も、がたいのいいやつで
バッテリーが出来上がっていました。
バッテリーだった同級生も同級会で
この間あってきましたが元気にやっていました。

イノベーターになるような教育だったようです。
両親は二人ともお墓の中です。
いまさら
ありがとうっていうのは
お墓の前だけです。
まだまだ
お前!喧嘩するまでこの墓には入れないからなって・・・・
おやじが言っているようです。

会社の中で馬鹿な振りして
喧嘩をしながら日本を変えていたことなど
だれも気付いていなかったようでした(笑)

馬鹿なフリも真剣になるところでは出来なので・・・・
尖ってばかりでは組織の中ではじかれちゃいますので
微妙な調整をずっとしてきて
自分はどうでもいいけど
世の中がかわっていくのが見たくて・・・

やっぱり人生そのものが
江戸っ子の魂が入った
いのべ~た~!なのかもね。

ドラッカーって最近テレビで騒いでいるのと違いますから~!

ドラッカーって最近テレビで騒いでいるのと違いますから~!
もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーだったらの方ですよ!
沢尻騒動のドラック中毒の方じゃあないよ!

ピータードラッカーですから~~~~。
経営学の父!!!

マネジメントですね
もしドラですよ!

自分は知らぬまに会社からマネジメントされて
自ら行動するようになったのか?
いやいや。
たまたまですが父と母の教育と時計部品の不良品ゼロから
自分でマネジメント出来ていたのかと思います。

小学生で日本一教育で世界でも通用するマネジメントを受けていたのかと
今は思います。

昔は不良率というよりPPM計算でした。
そんなPPMの不良率計算
私は知識はあったけど
馬鹿な振りしてへ~~~。
そうなんだ~~~~。

だから?
PPM計算で不良率が基準値だからOK!

心の中では誰が決めたんだよ!
(馬鹿やろう)
日本中がどこの会社も同じでした!

でもわたくしは時計部品を作っていて不良はゼロって教え込まれた3年間!
まあ!

わたくしが不良をゼロに目標を勝手に立てものだから
かなり抵抗された^^;

日本中がPPMの不良率が常識でした。
わたくしが馬鹿なのか???
時計会社が異常なのか?
不良率がゼロ
だって実際に不良率がゼロの部品で時計を組み立てていました。
なぜ?
日本の電気メーカーにはできないのか?????

わたくしは直ぐに疑問に思いました???
なぜ?
だって不良率が決まっているってことはそれだけ不良が出てもOKってことです。
なんであきらめているのだろうって???
不良が入っている部品で組み立てればそれは不良品です。
部品1点に対しての不良率です。
部品点数が何点ある製品なのだろうか????

だから合計したPPM計算で不良率を出していたのか??
それも知識はあったけど
わたくしは馬鹿な振りしてPPMの説明を聞いていました。

疑問に思ったのは
時計会社から不良率ゼロの世界からの転職でしたから
あまりその場では言いたくなったのですが
私だけ見えている世界なのかと全員がアホに見えていたのです。

それで?
PPM計算でその部分は合格なのですか?
不良をゼロにするために自ら動いて
マネジメントまで時計会社で教わっていたので
不良ゼロの世界にできるのに・・・

この会社っていうより日本全体がPPM計算の不良率でそれは日本の標準だったようです!
電気メーカーこれに気付いたのは日本でわたくしがはじめてだったのかと思います。

わたくしは転職して部品不良交換する工数だったのか?
かなり甘く見られたもんだ。
WM-2のラインで日本の最先端の製造工程を担当していたのかと今となっては思います。

あの行動は間違っていなかったとおもいます。
そのキッカケとなったのは事件があって首をかけて馬鹿な振りして改善をしました。

首をかけて行動を起こしたものだから
その担当指導者になって各工場をまわって作業を教えていました。
その甲斐あって不良は減りました。
不良はゼロだったんじゃないですか!!!!

私の考えがだんだん会社に浸透していって
朱に交われば赤くなる!
良い方向に行ってくれました。

なのでこれから電気メーカーも不良ゼロで行こうよ的なムードに
PPM計算は古いですよ!
たぶん今も使ってるメーカーもあると思いますが
不良部品で組み立てればその製品は不良品です!
不良を作っても許される会社?????

あれに気付かせたのは
日本の電機メーカーの品質向上に貢献したとわたしは感じています。

時計メーカーが出来て
なぜ?
電機メーカーが出来ていなかったのか??
それは
マネジメントの違いです!!

時計会社はドラッカー経営が進んでいた。
だって
わたくし平社員の部品製造員だったのですが不良ゼロにするために
自ら不良をゼロにしていましたから
それは切り替えから製造の寸法出しから品質安定化をしてその製品の品質管理までして
出荷までしていましたから
部品のマネジメントをひとりで行っていた。
生産台数まで1人です。
計画管理まで1人です。

転職して部品交換員???
は~~~~~
何馬鹿なことって思っていましたが
日本全国が同じ状態のことを把握していました。

会社で揉めたあの事件から
日本の工業生産に気付きをもたらせた。
日本の電気メーカーの考えが変わって行ったのかと
その大元がわたくしの会社内の喧嘩だったとは誰も知らない!

朱に交われば赤くなる!

日本全体が赤くなっていった。
あとは馬鹿な振りしている平社員ですから
優秀な頭の良い人たちがマネジメントすると思って
見守っていました。

かなりの人を巻き込んでの改善になって行った。
最後には政治まで動いた。

昔から、わたくしが動くとまわりの人たちが動く!
行動するのが斬新なのだろうか?
良いことだから真似するのだろう^^;

設計は世界一なのだから
それを作る部品も世界一にする必要があった!

その元になるあるべき姿とは
私の中にははっきり見えていました。

世界一のサウンドがそこにはあったのだ。
世界中でサウンドの音ゆれと戦っていた!!!
そもそもレコードプレーヤーにも音ゆれが存在するし
カセットテープ自体にも音ゆれがある!
カセットプレーヤーも部品不良でも左右する音ゆれ!!

この世界になると
時計組み立てと同等にしないといけないのだと
あるべき姿は時計組み立て同様にする不良ゼロの世界にすることでした。

それまでは部品メーカーもかなりあまい品質でしたからね!
でもごめんなさい!
わたくしをキッカケに日本中の部品メーカーの品質の向上があるべき姿と・・・・

反省していることは各部品メーカーに行って指導したかったのだけど
部品交換に時間を取られていました。。

あとはその道のプロフェッショナルが・・・・・
朱に交われば赤くなる!
なんとか政治家まで動いて法律まで出来てしまった。
それが日本の標準ってことです。

最後まで見守っていましたが不良部品は激減しました。

マジで自分はドラッカーです。
マネジメントの言葉も知らなかったが私のやってきたことは
あるべき姿にマネジメントしてきたことです。

各部品メーカーに指導に行きたかった。
行かなくてごめんなさい!

どんだけムリなお願いだったのか?
不良はゼロに出来る自信があったので・・・・
不良が入っている部品で製造するのは今でも抵抗がある。
絶対にそれは不良とわかっていて製造内に入れないでくれって・・・

私がガンガン動いて体制チェックに行きたかったな~~。
その会社の改善をしてやりたかったが平社員がドラッカー的手法で
会社を動かし、日本中の部品製造メーカーも動かし、法律まで出来た。
部品メーカーへの要求はそこまでってことです。

わたくしの仕事上の喧嘩が日本中まで巻き込んでしまったことに
ビックリしていました。

そんな出来事がたくさんあります。
たぶん
わたくしはドラッカーであるけど
イノベーターなのかも知れませんね。


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