上下関係に縛られないパラレルな組織がSONYの理想工場!

僕が小さいころから
両親が毎日研究していた
アメリカ的経営だった!

ボンソン電子では僕が中途社員入社では
まだまだ上下関係のほうれん草ゲームをしていた。

なんだよ!
世界一の製造工場が何やってんだ?????

しばらくは
僕がアメリカ的考えの経営をする社員とは気付かれていなかったが
あまりにも
残業がメインの組織でもううんざりして
僕は上下関係に縛られないパラレル仕事を始めた。

残業が多くて根性がない人間はやめている縮図。。
何とか変えたかった。

上下関係があってはスムーズな仕事はできない!
今ではグーグルではこの方式の組織のようです!

僕は1981年の数年後っていうか?
3年我慢できなかった。
母から腹立てるなよ!
孫にも衣装!
長く工場で働きたければ
その会社の風土に馴染め!!!
脳ある鷹は爪を隠すんだよ!

1982年には
今のグーグルのような上下関係のない仕事を勝手に始めてしまった。

そりゃ~
会社中がそんな勝手な社員は首だ!!!!
そんなのお構いなしに
問題改善をするまで食い下がらない僕!

会社では製造以外の部署に改善を求めていた!
だけど
動く人もいたが
動かない!
改善依頼書のハンコをもらってきて提出して
ここはお役所か?????

今考えたらとんでもないクレージーな社員が入ってきた皆さんは思っていたようです。
ドラッカー思考で働くと反発する!
改革を拒む社員ばっか!

問題が出ても動かない社員!
それこそがお荷物社員なのに人事評価は
依頼書のルートの通りにする仕事をする人間が評価される
すなわち
人事評価が向上を駄目していた。(工場だけに)

それを大企業病ともいいます!
問題が出ても依頼書がないと動けない。
人事評価型の社員ばっか??????

僕は小学生から成績は学年最下位の学力だった!
生徒に評価をつけてどうする????
何が目的????

僕はわざとテストが出来ないように不真面目にテストを受けていた。
考えない?
答えない?

小学生の教育は同じ考えを作る金太郎飴!
僕はこの金太郎飴にはなりたくない!
抵抗をしていた僕!

そして
同じ考えの組織での人事評価????
テストのような書類で上司のハンコをもらってどんだけ
いい子いい子にしている人間が評価されていた!

僕は組織でははみ出し物の中途の不良社員と思われていた。
僕は今のグーグルのような組織にしたくて
一人奮闘していた。

それは上下関係がありすぎて
いえるものも言えない!

ある意味
悪く言えばズブズブの関係の組織だった。
それが上の上司たちの関係で成り立っていた。

どこが
世界一のウォークマンを作る工場なんだ????

3年も我慢できないよ
おかあさん!
もしかしたら首になるかも???
それでもやりたいから
ひとりで改善を始めた!
改革をね!

この工場の
イノベーションで
組織内では僕が顧客となるが対応がお前首は絶対に首にさせてやる~~!
何度も大声で罵声浴びられた!

僕は喧嘩の仕方を父から教わっているので
相手を怒らせるのは大の得意でした。
あまり使わないでいたかったが
辞める前に改善してもがいても駄目なら自己退職を覚悟した。

何か違う???
僕は時計会社では上下関係はなかったので
不良はゼロに保った高品質で出荷していた。

でも
会社を比べたくないが
この会社は組織がしっかりしているが
品質を社員が自由に改善できない組織だった?
この人たちは馬鹿なの?????

改善しても駄目ならとっとと転職したかった僕!

この工場を世界一にするのが僕の社会貢献でもあった。
お給料は最低の金額をもらっている人間が
ウォークマン工場を見違えるようなマネジメントを始めたのを憶えている!

人事評価は早く間違っていることに気付いてほしかったが
四半世紀変わることはなかったな!

僕があきらめたときには
ウォークマン工場が閉鎖になっていた。。

僕が工場の改善を辞めたと同時に
ウォークマン工場は解散!

僕が頑張れたのは
おおもとに
上下関係に縛られないパラレルな組織がSONYの理想工場!
正確には
自由闊達にして愉快なる理想工場

この言葉に僕は守られていた!

つい最近になって知った。

面白い工場でした!

SONYは会社っていうより
工場って言った方が正解ですけどね!

マジで凄いと思いませんか?

僕は1981年の中途社員の高卒です。
電気専門の高校ですけどね^^

ウォークマン工場を一人で改革を始めちゃったクレージー君が僕です。
たぶん
SONYの中では工場からウォークマン2を流していて
ウォークマン2なのになんで2がないんだって
表示を
WALKMANからWALKMAN2にしてくださいと上に上げたのは
中途社員である底辺の社員の僕でした。

SONY工場って凄いでしょう!
底辺の社員の意見もすぐに取り入れてくれて
キャビの次のロットからウォークマン2の表示で生産していました。

マジで
自由闊達にして愉快なる理想工場でしょう!
こんな工場は日本中探してもありませんよ!

縦組織でまだ管理していたのですけどね。

でも偉ぶる管理職が出現すると
それは
仕事の速さが10倍も遅れていた。

偉ぶる管理職!
自分が動かしていると勘違いしている上司???

僕は黙ってスルーしていましたけどね。

完全に勘違い上司!
僕がアメリカ式のドラッカー思考だからなのか?
駄目駄目上司にしか見えなかった。。

っていうより
現在でもドラッカー思考って何???
そんな社員がいると思います!

SONYのイノベーション、顧客満足度の方針こそが
ドラッカー経営の会社の証です。

これを僕は1981年から
ウォークマン工場でアメリカ的働き方を吹き込んでいました。
それこそがドラッカーマネジメント!

一人始めちゃったときは
会社中から何事が始まっちゃったのか?
大騒ぎになっていた。

僕と井深さんの考えが
たまたま同じだった!
神様のお導きで
偶然とウォークマン工場で中途社員で働くことになった底辺社員くん!

僕がドラッカー思考でシチズンの時計部品をマネジメントしていた!
不良をゼロで働いていた。
上下関係に縛られないパラレルな組織に僕はそこでも働いていた。

部長さん課長さんがいたが
自由闊達にして愉快なる理想工場のような働き方をさせてもらっていた。
品質も自分たちが行動して作る!
管理は個人個人が責任もって行っていた。
シチズンの時計のプッシュボタンを担当していた。

そして
ウォークマン工場の歩留まりも中々改善されなかった。

この組織の悪いところを
僕はテコ入れをした。

でも
SONYの目的が
自由闊達にして愉快なる理想工場でなかったら
ウォークマン工場をイノベーションが出来ないで
組織からはみ出して改革をしたと
首になったっとこでしょうね!

組織ではSONYルールがあってそれを守らなかったから
お前は首だといわれました!

では
そのSONYルールとやらを提出してもらおうか??
僕はもう首覚悟でいたのでした。

組織の縦組織こそが
SONYルールに反していました。

SONYルールをたぶん管理職が調べたと思います。
そこに出てきたのが
盛田さんがヘリで来て
SONYルールをたぶん言ってくれたのかと思います。
さて
どうでもいいけど
最近になってSONYルールとやらをネット検索したら
出る出る

自由闊達にして愉快なる理想工場

これこそが
SONYの正体です!

戦後に日本再建できたのは
自由闊達にして愉快なる理想工場を目指していたからです。

縦組織でなく
フラットな横組織で僕はウォークマン工場をイノベーションしていた
1981年の中途社員がひとりが始めていた。

それが
井深さんの
自由闊達にして愉快なる理想工場につながっていた!

だから
僕は首を逃れた!

僕の行動はアメリカ式のドラッカー思考に両親から幼児教育を受けていた。

これは運命なのか?

いや
僕が小学生の時に
引き寄せの特殊な授業をマエストロ先生から受けたからです。
それは日本一になる方法でした。
マエストロ先生の直接の弟子である僕!
卒業証書をもらうときには
この方法は世界一なる方法でもあるので卒業しても
今の考えをずっと習得してください!
グッドラック!
幸運を!

考えて見ればあれからずっと
その世界一になる法則を習得して千本ノックをしていた。
考えるだけで現実化する!
その中が変わる速さが増してきたきもする。

自由闊達にして愉快なる理想工場
この言葉の意味はなんだ????

常にプラス思考で仕事をしなさい。
快適な理想????

まさに
この言葉こそが
引き寄せの法則に当てはまるように見える!

井深さんって
もしかした
引き寄せの法則を
工場設立で使っていたと繊細さんの僕は分析をします。

かつて
偉人たちが使っていた
引き寄せの法則!

自由闊達にして愉快なる理想工場

底辺の工場エンジニアの僕に対しても
それは風通しがいいので意見が言えたのだ。

自由闊達にして愉快なる理想工場を目指せっていう思考は
現実化が早い!

それは引き寄せの法則もそこにあるからです!

引き寄せの達人でもある僕は
そう分析しました。

僕が会社相手に辞めるつもりで会話した
そんなにSONYルールがあるなら
出してくださいよ!

僕は行動する事前に張り紙がないことを確認をしていた。

ないことを知っていた。

早く出してくださいよ!
SONYルールなどなかった!

それは問題発生したときのルートのことと勘違いしていたのか?
問題発生のルートは壁に張り出した。

SONYルールは見つからない????

出てきたのは
たぶん
自由闊達にして愉快なる理想工場

僕が一人で改善を始めちゃった
風通しのいい職場にするという
自由闊達にして爽快なる理想工場を目指していたのは
紛れもない僕一人だった!

その後
お前を絶対に首にしたる!!!!!
怒っていた他部署の上司は
お前には絶対に逆らわない
悪かったな!
向こうから反省をして謝ってくれた!

別に改善をしてもらえれば僕はなんの文句はいいませんよ(笑)

ドラッカー思考では
イノベーションや顧客満足を考えていないと
他部署と衝突をする!

それもそうですよね

どの会社での偉くなって偉ぶりたい人間はいますよね!
そういう人間はそういう縦組織で偉ぶってください!

縦組織はそういう偉ぶりたい人間が組織を駄目にする!

今の時代は組織で動くより
個人個人で身軽に動けないと
時代に取り残されます!

ではまた
ぐっどらっく!

PS
SONYの真似をしている工場がネットで出る出る!
自由闊達にして愉快なる理想工場!!!

どの会社も真似をしてが
中々SONYのようなウォークマン製品が出てこないと思います。

あなたの工場の製品を自ら購入して
自分達で広めたい社員がいますか?????

ウォークマン工場では1981年で
自ら購入してスキー場で使い始めたのは世界で一番はじめたのが僕です。

それは
どういう意味か?
それは新規顧客の獲得でもあった!

自分で楽しんでいたのですが
それが
世の中の流行の先端にいたのが僕です!

そんなドラッカー社員が黙っていても出てくるのが
自由闊達にして愉快なる理想工場です。
あなたの工場!
自由闊達にして愉快なる理想工場に
そんな底辺の社員がいますか?

ウォークマンの使い方を
自ら苗場国際スキー場で毎週通っていました。
お給料はウォークマン工場の底辺の9万円のお給料でした。。

お給料を多くもらっていれば
苗場プリンスホテルにお願いして
世界最先端の
ウォークマンを売っていたでしょうね!

苗場プリンスバージョンの
ウォークマン2を夢にまで見ていました。

ウォークマンも
いろんな観光の名前が入れられるサービスがあってもいいのかと
1981年から暖めていました考え!

ウォークマン2をスキー場で広めているんだって
僕の上司に話したら
そっくりそのまま
課長昇格のプレゼンでまるっとパクられた過去。

それからは
パクられないように
上司には報告連絡相談をやらないようになった!
縦組織を横組織に自由にアイデアをパクられないように
用心をした仕事に切り替えました。

でも何度も
パクられて
僕のアイデアで昇格してるのを見てみない振りをしていた!
すなわち
馬鹿でアホな何も考えていない底辺の社員そんな社員があなたの工場にいますか?

たぶんいないでしょうね!

工場ではひとりだけドラッカー経営で動いていたアイデアマンの人材がいました。
それが僕です。

ウォークマン工場でそれでも働いていたのは
社会貢献で世の中をウォークマン工場から変えていた!
この工場を卒業すると世の中が変えられないかなって考えた!

マジでお給料が最低でしたね。
ワーキングプアでしたね。

そんな人材が世の中が変わるほどの
ドラッカー思考で経営の縁の下のチカラ持ちで
経営をバックアップしているとは
誰も見抜けなかったようでした。

改善千本ノックをしたいてのは
僕だけでした。

会社の仕事を担当外の仕事をする人間なんて
世界探してもこんな僕のような社員はいませんでした。

だって
改善提案が日本中に存在するけど
使っている人間は少ないですよね。

あれは仕事以外の改善だから残業ではお金をだしませんとはじめに言われていた。
この課長さん?
馬鹿????
馬鹿????

組織の品質効率環境を見違えるように改善をしていた
僕の改善千本ノック!

課長の成果になることを伝えたら
許可が出た!
馬鹿ではなかった!

縦組織って使えね~~!

僕はたまたま働いていた工場が引き寄せの法則でその場所で働いたけど
ドラッカー思考で
ひとりでマネジメントをして
縦組織を完全に無視していた。

僕のアイデアは世界一って自信がありました。
だって
課長昇進テストで僕のアイデアをパクられた。
おいしいアイデアに見えたんでしょうね!

まあ
昇進テストは自分のアイデアではなかったから
昇進しても管理できないマネジメントを見ていたら
見てられなかったほどでした。

助けてほしいといわれれば
僕のアイデアを上にあげてくれたとも言えるので
世の中が変わるだろうと応援をしていた。
だけど
僕の助けを求めていなかった。

その時は僕が不良をゼロにできるドラッカー社員で前職を働いていたことは伏せていた。
すなわち
この課長さんを助けられたのですが
自分の仕事もあったので助けられなかった。

僕が不良をゼロにできる人間とわかっていたら
それを利用して昇進する人間と僕は見たので
黙っていました。

世界一の工場であったことは確かですが
僕がドラッカーで見た理想の工場にしようとして
僕が不良ゼロの世界で働いていたことは黙っていました。
これは僕の主任昇進で使いました。

苗場スキー場でウォークマンを広めるために
毎週スキー場に行っていたのですが
それ僕も連れてってという上司?????

まさか
まるごとパクる人間になるとは思わなかった!
しばらくは人間不信になっていました。

僕のアイデアを誰にも教えない!

そういえば
僕がウォークマン工場に入社するときに
母から孫にも衣装!
黙っていれば3年間はどんな人間かわからないんだぞ!
母からもう一言
脳ある鷹は爪を隠す!
僕の爪は新しいアイデアをどんどん出せること!
母は僕が天才と小学生の家庭訪問で言われたのを覚えていた。
マジで僕のアイデアで相撲をする!
パクられて
母の脳ある鷹は爪を隠す!の意味がわかった!

両親からアメリカ式ドラッカー経営を幼児期から
毎日家庭会議をしていたので

僕はドラッカー思考の日本人になっていた!
こんな日本人は世界を探しても僕一人だけです。

ぼくはそういう家庭で育っていた。
それが
僕が生まれる少し前から父が朝霞キャンプドレイクに入っていた。
日本にいながらアメリカ方式で働いていた
そして毎日そのアメリカ式を両親が研究をしていた
それがアメリカ式っていうのがドラッカー思考だったことは
つい最近両親が亡くなってから僕は知ったのです。

いろんなことを経験をしました。
いろんな人間に運よく指導してもらって僕が存在します。
それは両親のドラッカーの毎晩の会議!
そして
小学5,6年の特別授業がこれが引き寄せの法則でした。
そして
中学の塾の先生は数学者で因数分解は世の中のどんな難しい問題でも解けることを教えてもらった。
そして
中学の先生に肺がんで亡くなる1年前にお坊様だったので
お寺で座禅を通して無の世界を教えを説いてもらいました。
アイデア出しの原点です!
引き寄せでは宇宙とつながる経験を毎日未だに行っています。
目をつぶって座禅をする感覚をどこでも行えるように訓練をしました。
無の状態から新しいアイデアが天から降ってきます。

それは
引き寄せの宇宙へほしいものをあると
注文する感覚です。
無の座禅の世界から待っていると
天から新しいアイデアが降ってきます。

そんなドラッカー思考の人間がウォークマン工場にひとり働いていました。
完全にボランティア活動でしたね^^

両親の体調が悪くなりかわるがわる入退院を繰り返したときは
さすがに
自分の仕事はこなしていましたが
ボランティア活動はストップ!
すなわち
底辺の社員が会社へのボランティアを辞めた?
できなくなったので
引き寄せの法則が離れていった工場・・・・・・・

ウォークマンも超有名に流行していった。
僕のウォークマンが世界一流行させる神様の使いは果たした。

そう
僕はウォークマン工場で働くことを
小学生4年生からわかっていた。

この会社で働くためにはどうしたらいいのか?
小学生5年の担任からアドバイスを受けた!
それがマエストロ先生の特別授業の引き寄せの法則使いになる授業だった!

小学生ですよ!

三上さんドラマのマエストロ先生は中学生ですが
僕は現実にもっと前から
小学生で日本一になったオケを現実に目の前で見せてくれた
マエストロ先生が僕の担任!
マエストロの授業を直接うけたのでマエストロの弟子でもある。
この方法は日本一になるものですが
世界一になるのもこの方法を使ってくれ!
先生は僕の目を見てそう言った!?

僕を天才と見ていたようで
家庭訪問ではこの子は天才ですお母さん!
何を言い出す先生?
僕の学力は学年で最下位でしたよね??
この子供は以前では学習障害でわかば学級に入れられていました。
先生は僕がお勉強をわざとできないように適当にテストをしていたことを見ていたようです。
バレバレだった。
北進テストがこれから日本の共通のテストになるっていっていたかな?
それとは別に
算数の簡単な問題とか
いろんなIQテストみたいなのも行った!
たぶん
その点数がよかったのかな?
そのIQテストも不真面目にこたえて遅くしていたのを先生に見られていたようです。
IQテストが頭のデカイ子供は140でした。
適当に答えていたと彼は話していた。
その子供も学年で学力は最下位だった。。

そして僕も適当にやる気もなく答えていたが115だった。
頭のでかい子供は適当で140以上だったので
まじめにやれば150は行く自信があるっていっていた。
僕も適当にテストを受けたが115だったので125はいったんじゃないか!

頭のでかいやつはIQ150以上小学生であった!
そして学力は学年最下位だった。
小学生6年生でお前はその大きい頭を使えば東大に行ける!
マエストロから言われていました。
そして
東大卒業をやってのけた。

一方僕は
マエストロから世界一教育で
世界一にする方法で世の中を変えてほしいといわれた。
日本一でなく世界一でいいんだぞってね!

そして
ウォークマン工場に入社していた。
そりゃ~小学生からこの会社に入るために
色々と経験を積んできた!

ボランティア活動でしたね!
僕の功績は数億円にするコンサルタントを
月給9万円で行っていたのが僕!
馬鹿な振りしていたから
僕がドラッカーって気付かれなかった!

でも
今でもスマホの基が
ウォークマンって知らない人間はいないほどないなった。

僕はウォークマンにはまだ可能性があると考えています。
アイデアが降ってきたらこのブログで話してしまうので訪問してみてくださいね

目が離せませんよ!

言い過ぎたら
鍵を掛けるのでよろしく!

ウォークマン工場で僕が動いていたのは
工場の改善!
工場のイノベーションでした。
1981からね^^
安月給でここまでするのは
僕一人ですよ!

馬鹿か
あほか
安月給でボランティア活動!
あ~
面白かった!

また
生まれ変わったら
また
また
同じように世の中を動かしたいですね。

今も今日も引き寄せの法則は使っています。
僕の改善千本ノックは
ウォークマン工場卒業後も作動中です!

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