①ウォークマン工場に入る前からドラッカーであった僕のアメリカ的な父の教え!

職人だった父は大工になる前は建具職人で自営業!

経営も一緒にしていたようです。

私の母も洋服屋の店員でした。

二人とも顧客相手で顧客満足度のサービスをしていたようです。

父が職業柄でアメリカ的な考えを私に教育していたようです!
それはドラッカー的考えになっていました。

ウォークマン工場に入社したときに
私の考えと違っていた組織でした。

私はドラッカー的な考えで一人で行動して
組織をぶっ壊しはじめた。
とんでもね~社員が入ってきたと抵抗する人!

たぶん今では
ソニーの盛田さんのドラッカー経営は知られていると思います。
当時はドラッカーってあまり知られていなかった。
アメリカ的考えの経営

私の底辺の社員が
組織を勝手に改善をして改革し始めていることは
噂で盛田さんまで話が言ったのだろうタイミングで???
会社の経営方針がイノベーションの張り紙がバ~~ンと張られた!

それは
私が勝手に一人でイノベーションを始めてしまった組織改革でした。
大問題になって首になるかならないかのタイミングで
イノベーションの経営方針でした。

私はこの張り紙で首がつながったのです。

少し前に社是や経営方針が私の保険でもあるっていいましたよね!

改善や改革などをするときに
必ず
社是や経営方針や事業計画に沿っていれば
公式な仕事です!
邪魔をされたり、
抵抗することは公式な仕事を邪魔することになります。
新しいことをすると必ず組織では反対派が現れます。
その時に会社を首にならないのは
その保険のおかげです!

たぶん
私が勝手に組織を壊す行動は本来なら首になりかねません!
ですが
トップの盛田さんがドラッカーでイノベーションを掲げなかったら
私は首になっていたかもね!
でも
盛田さんがドラッカーで顧客満足度も経営方針に入れていました。
それと同時に社員満足度も取り入れてくれたようでした!
わたしは勝手に組織の壁を乗り越えて改善を始めていた。
この考えが通らなかったら
私は会社をマジで入社してすぐにやめる覚悟はしていました。

そしたら
ウォークマン工場では私が改善しやすいように組織の壁を乗り越えた行動!
組織を改善する人間を大歓迎されたように
イノベーションの経営方針だった。

アメリカ的な経営を父から教育されていたので
盛田さんはドラッカーでしたが私もドラッカー的考えを持っていました。

私の一人改革が駄目だって言われれば
やめてサーフィンでもして暮らそうかと考えていました。
本気の本気で首を賭けて一人改善をしていました。

でも
トップがドラッカーで良かったですよ!
私は本格的のドラッカー思考を会社で学ぶことになった。
ドラッカー経営でしたので
ウォークマン2を苗場スキー場にアピールしていたのは
一人でマーケティングをしていました^^

気付いていないと思うけど
自ら飛び込んで一人でも行動してしまう!
職人の父からの教えで自ら進んで仕事をすることを教わりました!
部下より先に先頭でリーダー的に自ら進んで教えていました。
組織ってリーダーとして仕事の目標です。
部下はそれに成果を出します。

私はドラッカーなので
自分の強みを生かして仕事を全力でつっ走ります!

新型コロナの時代では
ドラッカー経営で転換が必要ですね。

最近ではパラダイムシフトに乗り遅れるなという言葉を見ます。
それは
新型コロナで考え方が転換期に入っています。

ウォークマン時代が来る前のような状態です!
考え方次第であなたが盛田さんなれる時代が突入しています。

自由民主主義で新型コロナで一番先に助けてくれたのは
持続化給付金です!
それは起業家が日本を作って世の中が回っているので
経済が回っているのは起業家がいるからです!

こう考えるとドラッカー思考が世の中を動かしています。
それは顧客優先の商品開発や販売に影響する中小企業から個人経営者へ
持続化給付金で応援された政治!
これに答えないといけませんよね!

そのためには
また再び
ドラッカー思考に戻ることが必要です!
不景気になれば戦争になりかねません!

オーディオを庶民まで生活が変わるほどの変化がウォークマンから変わっていません!
未来的な技術が出来ないの?
SONY以外の会社でもアイデア次第で世の中が変わるほどのイノベーションが可能です。

今から10年後には大分変わっていないと未来は来ないと思います。
地道に顧客重視から行きましょう!

PS
盛田さんのドラッカー経営がウォークマンにつながっていました。
なぜ?
ウォークマンに人気があったのか?
それはドラッカー経営で顧客満足度が1番にあったからです。
2番に社員満足度もありましたよ!
そして
マーケティングで電気販売店でのソニー社員が応援でいた時代があったと思います!
当時のウォークマンはドラッカー経営で顧客満足でした。
社員満足度も取り入れてくれた盛田さんの経営を懐かしむ自分です。
盛田さんの経営方針がドラッカー経営って知らないでいる人はまだ多いかと思いますが
私は当時から父から教わった仕事の進め方を見て聞いていたので
SONYがアメリカ的な経営をしていたことをわかっていました(笑)
その経営はドラッカー経営といいます。

父もアメリカ駐留軍の中で働いていたのでドラッカー思考になっていて
それを私が教わっていた形です!

だから
ウォークマン工場の底辺の社員でしたけど
ひとりで組織改革をぶっ放していましたね!

お給料は超安かったけどドラッカー思考だったので
世の中が変わってくれるだろうと信じて行動していました。

少しでも良い商品を届けたくて行動していましたね!

私の行動は盛田さんまで
伝わったのかは定かでなけど
私が首をかけてウォークマンの仕事をしていたときに
イノベーションの看板がなければ
たぶん
私はSONYに私の製造の技術は貢献することなく辞めていたと思います。

ドラッカーの正義は
顧客満足度と社員満足度このふたつはいつも一緒です。
イノベーションの正義の正体です!
私はそう思っています!!!!

ドラッカーはお給料だけがやる気ではないといいますが
まあそうですね!
でも
これで改善した実績を出した本人に褒美を与えればもっとやる気になるのにと
私は働きながら考えていました。
働く喜びを感じなかった人間がやる気を失います。

給料が安くても
顧客満足ができるように改善千本ノックで
持続的なイノベーションを一人で行っていました!
それはなぜか?
効果の後に利益が上がりお給料が上がるという考えでした!
お給料が上がらなかったらとっくの昔に辞めていました。

職人の息子で改善千本ノックを楽しんでいました。
私ぐらいでしょう!
持続的イノベーションをしていたのはね!
でも一人そういう人が存在すると
それをお手本に問題改善する人がすっごく増えました!

私が特殊な改善魂がウイルスのようになって
感染拡大していました(笑)

私はドラッカー思考の底辺の人間だったけど
底辺の人間が改善してもいいんだって周りの人間はお手本にしていました。

私は中学卒業のときにお寺で1日修行をしていました。
その頃から一日一善で生活をしています。

もちろん
これをウォークマン工場で行うとすれば
一日1個の改善を行うでしょう!
改善千本ノックがそれです!
実はそれって
ドラッカー思考では持続的イノベーションです。

とんでもね~社員でしょう!
実は馬鹿なフリして行動はアメリカ的考えのドラッカー経営ですよ!
それは
アメリカ駐留軍基地で働く職人の父の教育でした。
格好は日焼けした何も考えていないようなサーファーですが
中身はドラッカーの考えの底辺の社員でした。

底辺の社員が勝手にマネージメントをはじめてしまった事件!
私は首を賭けていました。
私は組織にはそぐわない人間であることは自分でもわかっています!
それは
建具職人である父の考えの影響で自営業で自分がいつも経営者の考えを持って
改善をするのが当たり前の人間でした。

サラリーマンって忍び耐えるお仕事?
いやいや!
間違ったことは正そうよ!
喧嘩ができる人間に育てられた俺!
仕事での喧嘩ですよ^^;

暴力は反対です!!!!

仕事では喧嘩上等!
いくらでも喧嘩をしても悪い所(問題)を改善する!
その原動力は顧客満足度です。

そして
その改善した顧客満足度で抵抗する攻撃を守ってくれる
社員満足度の制度がなかったらイノベーションは恐くてできないでしょうね!
私が始めに首を賭けての改革をしていたけど
守ってくれるんだって・・・・・。

改革しても守ってくれる制度がないと私はドラッカーでも遠慮します。
中途半端の改革って改革をした人間が悪者になることもあります!
社員を守ってもらっていますか?
ボトムアップ改善をした社員を攻撃する?
このときの保険がトップダウンの考えを文字にした
会社の方針や部署の方針の事業計画が正義です!
改革はこれを元に行っているので邪魔する攻撃は事業を妨害行為にあたります。

改革するときに邪魔して妨害行為は
事業計画の妨害です。

改悪する者にとっての保険や武器になるものが事業計画や会社の方針です!!!

馬鹿なフリをしていると
頭のいい人間は馬鹿を相手にしないのでまたお前か^^;
早く仕事を済ませて近寄るな的な対応になります(笑)

完全に私は浮いている社員?
サラリーマンが向いていないのだ。。

1981年頃って
ドラッカー経営って企業のトップぐらいしか知識がなかったろうと思います。
私もドラッカー経営って言葉の知識はなく、
父から教わっていたアメリカ的な経営って言っていました。
それがドラッカー経営だったようです!
在日米軍基地の中で職人としてドラッカー的な組織で動いていたようです。

ウォークマン工場にドラッカーとして
ひとりポツンと入社したものだから
ボトムアップ改善でマネージメントを繰り返していたので
こんな危険な社員はいませんでしたよ!
組織を一人で悪い所を指摘して改善し始めちゃったから
そりゃ~大騒ぎに・・・・・・^^

それもこれも
前職では時計部品を一人で部品を検査した材料を機械に入れて
できた製品は一人で品質を管理して生産するのも一人!
不良はゼロで一人で全部をこなしていた人間です。

前職でドラッカーとしてマネジメントをしていたのかと思います。
どういうわけか?
私はドラッカーとして育てられていたようです。

そう
ウォークマン工場では私がドラッカーとして必要だったのか?
勝手に運命を感じています。

ウォークマン2の時は組織の流れを把握しながら
スキー場でマーケティングを繰り出していました。
会社組織とは別に自ら勝手にウォークマン2を購入して
見せびらかしに行っていました。

そして
伝説のウォークマン2はもっと売れたのに????
私のスキー場での口コミ作戦は
ウォークマン2が購入したくても販売終了になって伝説になっていました。
私の疑問はなぜ?売れるのに作らないのか????
それもドラッカーの経営なのかと思いました。
マジでウォークマン2はほしかった人は大勢いる状態で生産終了になった??

その考えはもっと小さくもっと高性能って言う
SONYの開発魂があったようですね!

なので伝説となったウォークマン2でした。
たくさん作ったけどまだまだ足りない状態でした。
通称はWM-2です。
購入したかったけど購入できない人が大勢いました!
(これは私のスキー場でのマーケティングの感覚ですけどね)

ウォークマン2をドラッカー的な考えで利益儲けを考えたら
経費はどんだけかかった????
250万台って公式台数ですが・・・・・・

経費は投資のようなものなので
凄い金額なのか?馬鹿なので計算できん^^

利益って飲み屋のつけのような考えがある。
売れているけどお金をもらっていない!

ドラッカー思考になると
問題解決は面白いように見えてきます。

私が改善千本ノックでアイデアを出して持続的イノベーションをしていたのは
普通の人間には理解できなかったと思いますが
今の時代でもしドラの漫画まで出てきたので有名ですよね!

私がアイデアマンで動いていたのはドラッカーとして動いていました。
それは入社当時からひとりでマネージメントしてました。

今では世の中ではボトムアップ改善は有名ですけど
SONYで、そのキッカケは私がドラッカーで行動したから
世の中が動いたのかと思います。
ボトムアップ改善は私が元祖です^^;

トップマネージメントのチームの一員として動いた結果です。
社員一丸のチームは破壊力が半端ないイノベーションですよ!

思考は現実化する
世の中が変わるのもマジです。
不思議ですね!

伝説のウォークマン2の現場に立ち会えた運命は
神様に感謝しています!
どうもありがとう!

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