お金儲けの競馬の方法

ウォークマン2をマーケティングで苗場に持ち込んだのは僕一人!

僕は初代ウォークマンから顧客として購入を考えていた。
たくさんの電気店を回ったけど
購入できなかった。。

そして
ウォークマン2発売の情報を知り

その発売した次の週の日曜日に
また
たくさんの電気店に回った!

発売されているのに売られていなかった????

いったいどこにあるだ???
あきらめたけど
ほしい!!

絶対のほしい!

これは僕の引き寄せの法則がもう既に動いていた。

僕の思考は現実になる!

もう何度も経験しているので
どんな形でそれが現れるのかワクワクしていた。

時計部品会社が不景気になり
退職の希望者を会社側から朝礼で工場長から話があった。

HSS型HSPで自動旋盤を7台使って不良はゼロがずっと続いていた。
ワンパターン化した僕の仕事!
逃げ出したかった僕!

HSPで刺激を求める気質には油職工のワンパターンは僕にはきつかった!

でも
その仕事を覚えるまでの過程はもう楽しかったよ!
だって
機械いじりは好きで好きでたまらない。

そして
不良ゼロでも生産できるスキルを身につけたら
ワンパターン化の仕事がつらくなった。
もっと刺激がほしい!

とりあえず
会社を辞めて考えることにした。
普通はやめないけど
会社側から退職者を求めたらそのタイミングがピッタリだった僕

そして
再就職活動で
色々回った!

ワンパタンのお仕事はたくさんあるけど
クリエイティブなお仕事はない?

でもどいうことか?
昔からラジオを作っていた
ボンソン電子で募集があった。

それだ!
小型電子商品を作っているが何を作ってるのかはシークレットだった。

そして
入社試験、面接をその日に行われた。
募集は終了していたが
筆記テストの結果を見てから面接になると
中途採用枠の許可をもらった!

マジで僕の能力を出し切った筆記試験!
あなたがよければ面接して行くかい?
え~もちろん
5人ぐらい居ただろうか?
いや7名いたかな?
記憶があいまいになっている。。

僕が不良ゼロに働けることは履歴書には
書いていなかった。

でも
保証人に父の職業が朝霞キャンプドレークでなく
キャンプ座間だったことにたぶん驚いた事でしょう!

僕がまさかアメリカ的な経営ができるドラッカーとは
自分でも感じていなかったが
ウォークマン工場に入社して違和感があった。
きちんとした会社で時計部品会社とは比べものにならないほど
技術力はあった。
もうあのときに日本一の技術だったのではと感じた!
それもそのはずで
SONYルールで経営していた。

ボンソン電子はまだSONYからチェックされた
まだ下請けのようでしたが
もうSONYルールで中途採用も動いていた!
会社全体がもうSONYルールだったのだ。

あの頃?
1981年秋に僕は入社したが経営はまだ日本型の縦型ピラミッド組織!
何をするにもピラミッド組織
そこに違和感があった僕!

僕が社会人になって入社したソレノイドの会社も同じだった。
ほうれん草で動いていたのだ。
今でもほうれん草で動いている会社はゴロゴロあるけど
それは悪いことではない!

ひとつの問題点に対して時間が掛かりすぎ!
底辺の人間が問題改善するのに最低でも1ヶ月はかかった。
リーダーに報告して
リーダーがライン長に報告して
ライン長が係長に報告して
係長が課長に報告して
課長が部長に報告して
そこで
やっと他部署に改善依頼書が回る
そして
他部署でも
部長が課長に依頼書をまわして
課長が係長にまわして
係長が担当者にまわして
やっと改善依頼書が届く!

これどこの会社もやっていることです。

1ヶ月から3ヶ月はかかる改善依頼書????
しかも
問題があっても
部長課長さんが出張から帰るまで机の上に書類が山済み!
これは確認のハンコ待ちだ!

これが日本のハンコ文化の正体なのだ。

僕は1981年前から
社会人になってからどこの会社でも
ほうれん草の伝言ゲームがあった。

楽しそうな伝言ゲームを僕は遠目にみて密かにくすくす笑っていた!

馬鹿かこの人たち????
それが日本のルールだったんです!

ハンコ文化のデメリットを改善したのは僕!

それでもって
やっと国会でハンコ廃止するように動き見えた!

ヤマト運輸ではハンコいりません!

お~~~~!

僕の考えていたことが現実化した!

でも
僕はウォークマン工場でそれを始めたのは僕が世界ではじめだったのではないかな?
絶対に世界一番はじめに改善をしたのは僕です。

日本の経営が僕には伝言ゲームに見えていたんですよ!

それは社会人になってすぐに気付いたが改善まで行わなかった!

私が動いたのには理由があった。
理由があると昔から僕は動けるのだ!

小学生からお勉強する理由がなかったから
一切学力はつけなかった。
テストは白紙のときのあったが白紙はまずいから
数個は答えていたかな
何でテストをするのか理由がほしかった。

会社での伝言ゲームを改善するのにも理由があれば改善をした。
理由ができたので僕は動いた!
問題が起こったときにまったく対策もしない馬鹿上司!
言い過ぎました。。
対策は工数を掛けて徹夜を選らんが上司!
僕は耐え切れなHSS型HSPの繊細さん!
しかも徹夜を2回もする始末

馬鹿かお前は????
それから僕が改善をすることになった!
それは今まで気付いたいたほうれん草の伝言ゲームを改善対象にした。
ひとつの問題に1ヶ月以上掛かる
しかも
偉い人が出張していた。

もう僕の我慢の限界を超えた!
上司にほうれん草?
伝言ゲームや改善依頼書?
馬鹿言ってんじゃね~よ!
今すぐ改善しろ(怒)

他部署に乗り出した僕
喧嘩する方法は父から教わっていた!
僕は一度も喧嘩をしたことがありませんが
こういう時の為に喧嘩をする方法を教わっていた。
僕も首を掛けた喧嘩でもあった。

何に対して他部署の人間が怒っているのか?
それは伝言ゲームがSONYルールだから
絶対にそれを無視したお前は首にしてやるからな!
お~~パワハラかい^^

僕のやっていることは間違っていない!
そのSONYルールを見せてください?
そんなルールは存在していなかったのだ

その担当者が仕事をサボっていたからシワ寄せが
僕に掛かっていた。
徹夜24時間以上も働かせる上司?
この上司も馬鹿なのか?
それ労働に違反していないか?

一時期
徹夜が流行った時期があったので
これは僕の出番だって
両親から教育を受けていた
問題解決!

アメリカ的経営なのだ。

日本で僕の動きは日本で一番はじめに行ったのでは感じています。
そのころ日本にはアメリカ的な経営はなかった!

HSS型HSPの繊細さんが気付いていた。
ほうれん草の伝言ゲームと改善依頼書は必要ないとね!

経営学を学んだのは大学生なのかな?
僕が改善を起こしたことを勉強で習ったと思います。

縦組織は会社には存在するが
改善するときは横組織で改善する!

問題改善もこれでほうれん草や改善依頼書のハンコ文化も必要なくなったのだ。

これを読んだ人間は各会社で実行してね!
ヒントは経営学で詳しく学んでくださいね!
これは僕が改善して世の中が動いた現実です。

これはまさに
イノベーションで
顧客満足度で
マーケティング技術が必要ですけどね!

ドラッカーの勉強しても難しいですよね!
でもドラッカー思考は身につけてくださいね!

だいぶ話はそれたけど
僕のいいたいことは
イノベーションや顧客満足度を実行するときには
マーケティング技術が必要不可欠なんです!

マーケティングを実行するとどこに目をつけていいのかがわかるようになる!

ウォークマンを広げるにはどうしたらいいのか?
それを考えたときに
商品価値を知らせるために僕は苗場スキー場を選んだのだ!
スキー客にウォークマンヘッドホンも見たことない
軽量ヘッドホンで耳宛がオレンジのスポンジ!

あのころ聖子ちゃんのCMでウォークマンが流行り始めてきた!
でも
僕のウォークマン2のヘッドホンをしていた時に何度か話しかけられた!
リフト待ちで友人と話してウォークマンの話をしていたときに
隣のアベックの女性がそれいいね!
どこで売っているの?
僕は聖子ちゃん宣伝するウォークマンの友人に話しかけたと思いきや
なんと
そのオレンジのヘッドホンのウォークマンが私はほしい!
なんと生産終了している
ウォークマン2がほしいというお客様でした。

在庫があれば取り寄せできるのは
丸井デパートですがもうないと思いますよと答えた。
聖子ちゃんの宣伝しているウォークマンは普通に電気屋に売っています!

ウォークマンの関係者ってバレバレでしたかね^^

今でもウォークマン2は僕は活動をしていますけど
ヤフオクなんかでまた流行り始めたカセットウォークマン!
仕掛けたのはまた僕ですけどね^^

ウォークマン2は復元は簡単そうに見えますが実際の所
難易度は高いですよ!
たまたま簡単直ったひとは簡単じゃんって思うかもしれませんけどね。

ウォークマン2が日本のほとんどの人に行き渡ったのはあれは丸井のお客様だけでした。
僕の感覚では日本はどうでもいい
世界中に広めたかったのではと感じています!

僕があんだけ苗場で広めようと動いていたが
ほしい人間も僕に話しかけてきた。
そのタイミングは聖子ちゃんのウォークマンCMの時期に
ウォークマン2がほしいっていう女性!
これって日本にたくさん居たのではないでしょうか????
これって顧客からの要求にまで僕の動きは伝わった証拠でもあります。
僕が勝手にマーケティングをしていた苗場スキー場
数人からそれがほしいって言われましたよ!
SONY本社の方は知らない僕が実際にスキー場でマーケティングをしていたことを・・・
そして
ウォークマン2がもっとつくれば売れたことを
SONY経営部は知らなかった事実!

聖子ちゃんのCMでウォークマンをほしくなったと思われますが
運よければ
WM-DDが購入できたかな???
ウォークマン2はたくさん作りましたよ!

マジで
僕の思考は現実化する!

じゃあねまた

あっ!

チャンネル登録よろしく!

ウォークマンの成長と繁栄を望んで苗場スキー場でウォークマン2をしていた僕

「企業はなによりも、
アイデアであり、アイデアを生むことのできるのは個々の人間だけである。
勇を鼓して自ら思考し、
“既成観念”にあえてそむける人なくして、
その企業の成長と繁栄は望めない」
ドラッカー

なぜ苗場スキー場でウォークマン2をしたのか?

雑誌やテレビではスキーヤーのファッションチェックを特集で
いつも見ていたのでこれは苗場スキー場で
ウォークマンの商品価値をあげようと
僕一人がたくらん1981年の年末からの冬!

それまでは
苗場スキー場にはひとりで終末はマイカーで往復!

それから
苗場の向かい側のスキー場で
浅貝スキー場でスノーボード選手権の第1回が開催された!

もしかして
僕がたくらんだのは
スキーヤーのサーファーがこちらに転向する!

僕もドジ井坂プロから丸井のスポーツ館で
MOSSのスノボー購入した。

その時もウォークマン2のヘッドホンをしていた僕

ヘッドホンもウォークマン2のものがほしくても
手に入らない!

スノボーの時は
イヤフォンタイプに変わっていたかな。

いろんなスキー場に行きました。

ウォークマンをするスキーチームを結成して
ウォークマン工場から宣伝をしていた元は僕のアイデアでした。

既成観念は
マーケティングで世の中に広める仕事をするのが常識です。

でも僕は
ウォークマン工場に入社したからには
このすばらしい商品価値をスキーヤーやスノーボーダーに
知てもらいたい一心で行動していた。

スキーヤー多くは年末年始はスキー場にいます。

これは僕は子供のころから
父の弟のおじさんに小さいころから
岩原スキー場で年末年始はロッジでおしるこをたべていました^^

懐かしいですね!!!!

東宝の俳優を目指していたのでモデルでも演技するか?

そんな僕の体験が
ウォークマンを広めることを入社してすぐに始めた僕!

そこには僕なりの
ウォークマンの成長と繁栄を望んだ行動でした。

別に金はもらっていないけど
自社の製品を購入して消費者として
製品をアピールするのは全然問題はないよね!

おかげでウォークマン工場では臨時ボーナスを2回だったかな
もらいましたよ!

全部はウォークマンを広めるために宣伝費につぎ込みましたけどね!

現代では個人がテレビのように動画で
YOUTUBE動画で商品をアピールできますよね!

でも
40年前はそんなのはなかった
雑誌か
テレビか
新聞か
新聞のチラシ広告か
ネットなんかなかった!

初代ウォークマンは僕は時計部品工場で自動旋盤で部品不良ゼロを品質を守っていました。
雑誌で見た
初代ウォークマンは電気店を色々探したが売っていなかったんだよね!
そして
ウォークマン2も出てすぐに電気店を探したのだが売っていなかった!

SONYも売り方が下手でした!
っていうより
再生専門キが売れないでしょう!
電気店で仕入れてくれなかったようです。。

そこでウォークマンをおいていただいたのが
丸井のオーディオコーナーでした。
丸井ではエレベーターを上がってオーディオステレオが見える前に
目に入ってくるのは

ワゴンの中に山ずみになったウォークマン2を今でもおぼえています!
色分けにワゴンが3台シルバー、レッド、ブラック山積みになって積んでいました。
3万2千円もするものがワゴンセールのように
飛ぶように売れていたところを僕は見ています。

中途入社してすぐに丸井で売っていることを先輩から聞き出して
すぐに丸井に向かった!
1回目は売り切れでした。
2回目は仕入れの日にすぐに向かって購入できましたが
ウォークマン2を会社では造っていて
当時は会社では購入はできなかった。
その後
会社でも購入できるような体制になった。

ウォークマン2は丸井でしか購入できなかったのです。

僕も電気店を探し回ったがどこにもなかったハズですよね!

SONYでも売れっこないと反対されていたようで
井深さんと盛田さんが絶対に売れるから商品化になったけど
SONYでは反対派の邪魔もあったのか???
丸井でしかウォークマンを置けなかったのが現実のようです。

初代ウォークマンからスキーで使ってみたくて
探し回ったよ~~~~!

毎週日曜日はハコスカで探し回ったけど
どこにも売ってなかった
電気店の店員に尋ねると????
ウォークマンは置いていません!

なぜか?ヘッドホンの別売りは置いてあったかな!

あのSONYがウォークマンの売り方に苦労していた!
HSS型HSPの繊細さんは
ウォークマン工場に入る前から感じ取っていました。

売る気はあるが真新しい商品価値を誰も理解できなかった!
これって
スキーで好きな音楽をゲレンデに持ち込める最高ですよ!
だって
スキー場では演歌を流すスキー場もありましたから
ガッカリですよね!

学生の頃は
まわってまわってまわる~~~ううう~~♪

同じ曲が一日に何回もかかっているゲレンデ!
もういいよ
どのスキー場でも同じような曲ばかりでした。

自動車で好きな曲をパイオニアサウンドで楽しんで
スキー場まで行くが着いたら終了!

帰るまでは好きの音楽はお預け状態!!!

大変悲しかった時代を過ごした。

そう感じていた人に僕は届くように
商品価値をスキー場でウォークマンをしてアピールを始めたんですよ!

ほとんどがマイカーでスキー場に通いますよね
音楽を楽しみながら到着したら
帰りまでその曲はお預け!

半数以上は感じていたことでしょう!

ウォークマンの商品のコンセプトを思い出してください
それは
“いつでも・どこでも・手軽に音楽を楽しむ”

ウォークマンは“外に音楽を持ち出す”とうい
ライフスタイルの革命をしたといわれています。

初代ウォークマンやウォークマン2が
普通の電気屋に並んでいたのなら
あの頃の何倍もの人間が購入したと僕は感じていました!

SONYは売り方が下手だよね~~!

それって
僕が時計部品を造る工場で働いていたときに感じていました。
俺はウォークマンほしいのに売ってくれよ。。
どこにあるんだよ!!!

僕は引き寄せの魔法のランプをこすって願っていた!
それは俺は東宝映画の俳優をあきらめて電気エンジニアを目指していた時の
記憶が目覚めました!
何俺は油職工の自動旋盤をいじって部品不良をゼロ目標に働いていたんだろうか?
そうだよ
ウォークマンのような小型製品を造る向上で世界中に向けてお届けする仕事を考えていた!

1981年にウォークマン2が出るので雑誌で見た!
これならダウンの中に入れてスキーができる!
初代ウォークマンは少し大きすぎた。

僕は転職を決めた!
時計部品会社では工場長に止められたが
僕の決心は電気エンジニアをまた目指した!
でも
ラジオを作っている会社に面接に行ったら
高卒ではスキルが足りないと
商品開発の会社に行こうとしたら
既につぶれていた。。

引き寄せの法則の魔法のランプはすぐに効果が現れた。
それは退職して3ヶ月後に
友人からSONYの大きな看板の会社で募集している!

行ってみたら!

友人は大きなパイオニアの看板のところに転職していた。
僕もパイオニアに入れて
募集を既に終わっていた。

SONYの看板のところに
履歴書を持って中途採用枠に募集で行ったが既に終わっていた。。

以前も話したが
もろサーファーで長髪で赤もポロシャツにスラックス!
ジーンズはやめておいた!

ふざけた中途社員の枠に応募した僕!

募集は終わったけど
試験をして行くかい?

あっハイ!

僕が電気エンジニアになれるか?
SONYの看板があるので
SONYの中途採用方式のようでした。

僕はSONY社員をイメージして
ふざけた格好に見えるが僕はきわめてまじめ!

東宝映画の俳優のごとく
中途採用では僕の心の中で
映画撮影のはじめのカチンコがなっていた!

筆記試験は一般常識が出たら僕はあきらめた!
僕には普通に常識はあるが
“既成観念”にあえてそむける人なので
苦手な試験でもあった。

何なにについてどう思いますか?

それについて僕の考えを文章化した筆記試験と
適正試験これが頭が疲れたのだ!

僕の頭脳をフル回転させたのがよかったのか?
普通の人間の数倍の自信があったので適性試験では合格レベルだろうって
もしかして最高点だったのではと・・・・・

社員ナンバーで暗号化を読み取った僕!
この年の入社で最高だったようです^^

学力は小学校では最下位だったので
学力がないところには自信満々!
でも
何とか中途採用の試験には合格した!
僕は品質をよくするために入社したかった僕

製造なら募集がないけどあなたなら雇います?
その代わりお給料は新入社員と同じでスタートしてください!

お給料は時計会社の約半分だった。。

この会社を改革するために僕は中途社員になった!

SONYだから改善をしなくていいような会社なのか?
SONYルールで会社運営していた。
当たり目ですがね!

僕はドラッカーで何でもわかっちゃうのは
入社してから僕しか見えない世界があった!

それも両親からアメリカ的考えが僕にはあった。
僕が職人の息子だから日本的な職人の考えもある!
それは
日本的なドラッカー思考のようでもあったのだ。

ウォークマンの売り方が丸井にだけしか置いていなかったのには
世の中にウォークマン価値がわかっていなかったようで
僕は苗場に毎週末スキー場に行って
ウォークマン2のアピールをした。

僕はいろんなアイデアが湧き出てくる!
なぜか?
品質改善や効率改善や環境改善は父から子供の頃から教わっていた。

学力が小学生では最下位でしたが
その頃から
父から幼児期から
木工職人の品質改善や効率改善や環境改善の英才教育を受けていた。

しかも
問題改善は魚釣りを通して父から教わっていた。

ウォークマンのアピールは
母が洋服屋のマーケティングを学んでいたようで
DNAに組まれたようです。

父と母のDNAをもらったので
職人と洋服屋のスキルが僕に身についている????

イノベーション
顧客満足度
マーケティング

僕が生まれて子守唄は母の洋服屋のお話でした。
父の子守唄もアメリカの考えは日本と全然違うんだぞ~~!
面白いだろう!父はいつものお話でした。

別にドラッカー本を読んだことがないけど
僕は完全に考えることがドラッカーだったんですよ!

日本の会社って歴史は浅いですよね!
でもアメリカではどんどんと成長を繰り返して
ほとんどがドラッカー経営が当たり前だった
今は知りませんけど!
1981年にはまだまだアメリカに届かなかった。

そう
父が幼児期から僕に話をしていた!
アメリカ的働き方!
父もサマータイムで働いていて
早く帰ってきた!
僕は幼稚園に上がる前に飴玉を飲み込んだらのどに詰まってしまった!
あの時に父がサマータイムで早く帰ってこなかったら
僕は窒息してこの世にいなかった。
不思議な体験をしたのは朝霞の神社の横の借家だった!
たぶん
神様に助けていただいたようなタイミングで父が帰宅!
そして
意識を失う寸前で父が飴玉を出す方法が見つからないから
近所のお母さん方に僕を逆さにして背中を思いっきり叩いて飴玉を出す方法しかないと
父がとっさの判断!

少し背中が痛いけど飴玉を出すからな!
1回目は加減して叩いたがもう僕の意識がなくなる寸前だったので
2回目は思いっきり背中を叩いたらスッポン!っていい音で飴玉が地面に出てきた
それと同時に空気が入ってきた!
たぶん
意識がなくなりあのまま死んでしまうのか?
一ミリもおもわなかった!
絶対に父が助けてくれると考えていた!

誰一人あきらめる人間はいませんでした。

あきらめるときは僕の命が終わるときでした。

僕の問題改善は自分の命を救った経験が生かされていたんです。
絶対にあきらめない
あきらめたときはその問題は解けないことを意味する!

苗場スキー場でのウォークマン活動も
流行するまで実行していました。
ほとんどの人間がスキーとかスノボーでウォークマンをするスタイルになった。
その時に僕のウォークマン活動は終わりになりました。
そんなにスキーにも行かなくなった。

何事も死んだ気で望め!
あの子供の頃の飴玉が喉に詰まった事故の経験は大きい!
意識がなくなる寸前で生き返った!
意識がなくなったら
命は終了していたでしょうね!

他のメーカーからも
ウォークマンに似たものが発売されていたが
スキー場に持ってくる人間はいませんでしたよ!

絶対の僕は世界中でスキー場に持ち込んだ
ウォークマンする人間の第一号だったのではないかな^^

ではまた

「企業はなによりも、
アイデアであり、アイデアを生むことのできるのは個々の人間だけである。
勇を鼓して自ら思考し、
“既成観念”にあえてそむける人なくして、
その企業の成長と繁栄は望めない」
ドラッカー

これって僕は1981年のウォークマン工場に入社する前から頭の中にあったことです!

母の教えでは出る杭になると打たれる!
日本ではこれが常識で今も存在しています。

日本ではこれをすると首になる可能性が大きいからやる人間はいない!

でも僕は中途採用で新人君のお給料から
前職場の半分のお給料からスタートした。

はじめからやめる覚悟で出る杭をしていた。
安月給のほうが動きやすかった!

勇を鼓して自ら思考し、
“既成観念”にあえてそむける人
それが僕でしたからね^^

なつかしいですね!

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