生きている事に感謝!石川無線電機が僕が入社しかったった会社!これは小学校~~~
小学校から中学にかけて
ラジオ製作などの雑誌では
スーパーヘテロダインの回路が紹介されていた。
僕の記憶ではその雑誌にはよく石川無線電機の名前を見ていた!
こういう会社で働きたい!
僕の目標だった!
それが坂戸と近場ばったので
これはとよく雑誌にらめては
エンジニアか~~~!
まだまだ程遠いが
数学は小学生では最下位だったが
中学生2年でやっと先生と同等になった。
わからない人間に数学を教えられた。
信じられないよね!
もしかして
俺はやっぱり天才なのか?
でもやる気にならないと
また最下位になるという
学力だった!
そして
中学では剣道もやっていたので
警察の道場で寒稽古や土用稽古を体験していた少年剣士の赤影なるべく
練習を重ねていた。
高校卒業で警察からお呼びがあった。
それは警察官にならないか?
警察官の願書だけでも出して
心が決まったら受けてくださいという
気軽なお誘いだった。
いろんな選択肢があってもいいのかと
願書だけは出してあった。
僕が警察官?????
考えてもいなかった。
そうした道もあるのか?
でも
東宝映画の俳優をあきらめるぐらい電気エンジニアを目指してた!
警察官の試験に行けば受かるだろうという自信はあったが
僕が警察官になる想像もつかなかった。
僕が警察官になっていたら
数々の難しい問題を解いていたでしょうね!
自信があります!
FBI超能力捜査班のようにね^^
ですが
霊感が強すぎるので事故死の現場にはいけないよな!
毎回霊と話していて
ついて来られてしまって困っている自分が想像したら
これは警察官はないよな!
やっぱ
電気エンジニアだけに絞りました!
なんと
ウォークマン工場には石川無線電機の空箱と東京通信工業の空箱もあった!
ボンソン電子で初台にあった石川無線電機だったのです。
マジか?
やっぱり運命を感じていました。
そして
東京通信工業の空箱もありました。
似たような石川無線電機の青い箱だったか?
ボンソンは黄色い箱で
東京通信工業の空箱は緑だったかな??
東京通信工業はSONYの元の会社の名前!
マジか?
中学の時に数学科学の先生からトランジスターを教わったあの会社だった!
東京通信工業の空箱が倉庫にあったのを見てゾクゾクとなった。
そして
夢にまで見た
石川無線電機で名前がボンソンだったから気付かなかった!
そして
東京通信工業の空箱???????
これってSONYじゃん!
マジ
深夜ラジオ聞きたくて
トランジスターラジオを購入しにいった。
それはSONYのラジオだったのですが
いざ購入になると父親の財布の中身を予想して
僕の繊細さんのアンテナが父の考えがわかってしまった。
同じようなタイプでナショナルのラジオはその半額だった!
1時間ぐらい悩んだかな?
SONYがほしかったが
妹もいるしな~~!
半額は妹のプレゼントにしてもらいたくて
僕はSONYでなくナショナルのおなじようなラジオを買って帰ってきた。
HSS型HSPの繊細さん
父にも引っ込み思案な態度でした。。
SONYを購入しようと父と二人で行ったのですが
ふたつ並んでいたラジオ!
値段が倍したのがSONYでした。
僕が中学生1年生の時かな?
でも大人になって
ウォークマンがほしい
ウォークマン工場で9万円スタートの安月給で
即効でウォークマン2を丸井で購入しました。
なんとその値段は3万2千円!
高いことは確かだけど考えて見れば
3万2千円でウォークマン2が今作れますか??????
安すぎでしょう!
外観はアルマイト処理のアルミでなく
プラスチックに塗装だけでクリア塗装はされていなかったが
初代ウォークマンよりコストは安い!
でも高そう!
SONYの儲けはいくらだったのか?
それは言えないが
相当の数を生産した
カセットウォークマンだけで
世界累計販売台数は約2億2000万台!
ボンソン電子時代から凄い数ですよね!
ボンソンが石川無線とは
引き寄せの法則はものすごく強い力でした。
安月給でもいいから
一回は働きたかった場所です。
だって
その為にお勉強を始めたんですもの^^
僕の物語はおもしろ過ぎ!
だって
朝霞キャンプドレイクで働いていた父がいたから
フリーパスで基地内に出入りしていた。
父と一緒にだけどね
当時ヨチヨチ歩きな幼児!
朝霞の神社の横で暮らしていた時は
飴玉を詰まらせて息が出来なかった記憶はいまだにある!
父がアメリカ式のサマータイム日でなかったら
僕はあの時で人生は終わりだった!
神様がいる神社の隣に住んでいたので
助けてもらったと僕は感じた!
不思議な力をね!
一度亡くなった人間と思った。
幼稚園児だった。
社会貢献は朝霞のころからあったかな!
安いお給料でも世の中のお役にたてる仕事がしたい
だから
警察官の願書も出した!
だけど
スマホのように音を外に持ち出す原型を広めたいと考えた!
1981年がその年でした。
僕はこの先の未来を見て僕がやるべき神様から助けてもらった
この命
安月給でもよかったんだよ!
いつも安月給っていっているけど
僕の命は幼稚園児で終わっていた!
絶対にね!
でも奇跡的に
アメリカ式働き方のサマータイムで九死に一生を経験した!
その時期は幼稚園児だった。
あれって神社の横に住んでいなかったら僕は神様に助けてもらえなかったよね!
マジ不思議だよ!
生きているのがね!
神様に感謝です。
僕が今も生きていること!
ありがとう!
そして
これを読んでくれている人にも感謝です。
来年もよろしくです。
ありがとうございました。
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