日本の製造業からウォークマンが出てきてオーディオ業界は大騒ぎ?

オーディオファンならウォークマンはおどろくほどびっくりこいていました。
僕もその一人です。

電気エンジニアだったら革命的なカセットレコーダー?
再生専用機のカセットプレーヤー!

これは誰しも売れっこないと思われたので
どこの電気店でもウォークマンは置いていただけなったとのことです。

でも売れちゃった?
僕はそう見ていません!
だって
丸井でしか売っていなかったのだから
高級志向のおもちゃとしてワゴンセールで
ワゴンで売っていました!
それが現実だった!

僕が買ったときはウォークマン2でした。
ワゴンに山積み!

初代ウォークマンも同じことだったでしょう!

僕はウォークマン工場で働いていましたが
普通にウォークマンを生産していました!

それが改革製品とは考えないで
普通に普通に平然とベルトに乗って流れていた。

最近でも日本のイノベーションというとウォークマンが必ず噂されます。

僕が入社したのは1981年ですが
これが世界一の改革した製品を流す工場なのか?

現状把握で母から馬鹿は3年黙って孫にも衣装って言う言葉を僕に話してくれた
なにそれ?
僕が短気で喧嘩っ早いので母からの忠告だった!

だって
短気で喧嘩っ早い職人の父のDNAを僕が持っていて
短気を起こすのを知っている母!

わかったよ入ったばかりで喧嘩なんかするかよ^^

でも
改善はするよ!
その時は出る杭になるってことは打たれるからね!
母からの忠告を胸にしまって
ウォークマン工場では働き出した。

確かにSONYの工場だけあって時計会社より技術面でも上かな!
でも
働いているとまだまだかな!

ドラッカーっという
アメリカ的経営のほうが↑!

日本全体がアメリカの経営の真似をしていたQCサークルの時代だった。

日本の品質が良いのはQCをしっかりやっているから?

なんか勘違いしていると僕は気付いていました。

確かに年に2回だったか1回だったか
QCサークル大会が開催されて
改善を進めていた!
一見!すげ~と思うが
改善した数がそのサークル数しかなかった。。
10チームの発表だったら
年1回なら改善場所は10箇所だけしか改善をしない会社が日本中にあった。

しかもQC活動は残業時間中に行っているのに残業をつけない!
改善というとQC活動で改善したいが
残業中にタイムカードを帰ったことにして改善をしていた!
誰が改善をするかよ!
そんな日本の暗黙のルールがあった。

馬鹿じゃねーの!
僕は勝手に動きだしたので
日中から改善活動をしていた。

今では信じられないですよね!

僕みたいな馬鹿が動かないと改善はいいことで評価をしてね!

色々あった!

ウォークマン工場では日本の製造会社でまだ改善という考えはQCだけだった!
生産革新も入ってきたがまだまだ
改善をすると上司から怒られた時代!

日本のどこの会社にも改善提案制度が残っていたが実施している会社はなかった!
だって考えが仕事の時間外で改善をしてくれっていう会社側??
馬鹿か思えられね~?????
(その頃からトヨタは改善は盛んだった記憶たぶん生産革新だったのでしょう)

僕は残業の生産中に改善を繰り返した!
僕の改善は早いよ!!!
あっという間に終わる

それはあらかじめ準備をしてから
大工の段取り八分・仕事二分は父から教わっていた!

同じ仕事でなぜ残業にしてくれないの?
それじゃあ工場の改善は進まないよ!
課長さんを説得したら理解してくれた!

僕はウォークマン工場に改善を導入しはじめた。
僕は軍隊みたいな生産革新をやるようだったら
会社を辞めるつもりでいた。
強制の改善は好きくないのだ!
繊細さんなのでカンベンしてもらいたい!

僕は底辺の社員でも積極的に改善ができる
改善提案をSONY製造部に染めはじめた。
朱に交われば赤くなる

僕のアメリカ的考えの経営?
馬鹿だけど改善するアイデアマンと自ら言っていた。

僕がなんで改善をしてウォークマン工場で頑張っているのか?
皆さんは不思議に思っていた!

そう僕が中途採用枠で入社したが
中途採用枠は既に埋まっていたのだ。

でも何かを当時の経営者に感じてもらって
ウォークマン工場のカンフル剤として入社したような感じもある。

タンカンの赤いポロシャツに
当時流行っていたサーファーのスラックスに
日に焼けて真っ黒で髪の毛は潮焼けの茶髪!

入社試験に何という格好で挑んだのだろうか?
母にも見せてこれ行くけど
いいけどボタンは上まで閉めて行きなさい!!
は~い!
いってきま~す。

でも履歴書には
僕がドラッカー思考であったり
東宝映画のオーディションに合格をしたなど
どこにも書いていないで
その当時の僕を見て頂きたくて
もろサーファーの格好でした。

書いたのは剣道初段!
趣味はサーフィンにスキー

どこでどう間違えたのか?
入社筆記試験が良かったようで
馬鹿の格好だけど中身があると判断してくれた。
適正があるってことのようで

面接には社長さんと剣道部があるので是非お手合わせをしてほしいと
社長さんから誘われた。

東宝映画のオーディションに合格の時は
あの東宝のゴジラで有名な佐原さんと面接をした。

なぜか?
緊張するとどきどきするのだが
緊張無しで普通に話せる????

かなりの
引き寄せの法則で僕はウォークマンを造ることになっていた。

引き寄せますよね^^

それでもって
世の中ではウォークマンが流行っているって言われましたが
流行っていたのはオーディオ関係者だけだったようです。

本当の流行っていたっていうのは
僕が苗場スキー場で広めるためのマーケティングをして
スキーヤーにウォークマンの浸透した人数の割合を僕は毎年観察をしていた。
SONYでそこまでしていたのは
ウォークマン関係者では僕一人でした。

一人でスキーに行っていたので・・・・・

途中から僕も行くって連れてって最終的には人数が増えて団体になっていました。
別にウォークマンのスキー倶楽部ではないけど
ウォークマンをして滑る同好会のような感じでした。

そして
数年でウォークマンをするスキーヤーでリフトに乗る若者達!

それを見てから僕のチャレンジは成功したのでサーフィンに没頭していました。

HSS型HSPっていつもそんな感じです。

ウォークマンはそれまで手に入らないSONYウォークマンでしたので
その購入意欲に火がついたようで
普通の電気店でも購入できたので爆発的にスキーヤーにウォークマンが増えはじめたよね。

それは世界でも同じように売れ始めて
国内のアメリカ軍の基地でも
父がやっと入ってきたようで流行り始めたと父の報告がうれしかった!
アメリカ経由できたのか?
日本のアメリカ軍用に発送したものかはわからなかった。

それはウォークマン2だったので
アメリカ経由でアメリカ軍基地に入ったものだと僕は分析した。

やっと海外でも流行り始めた!
苗場国際スキー場でも外国人がいたので
ウォークマン2をする僕を見て本国で購入してスキーで使っていたことでしょう!

マジで僕はドラッカー思考でお給料とは別に行動をしていた。
それはウォークマンの良さを知ってもらうために
毎年ウォークマン2を使いながらのスキーツアーでした。

世の中では何も行動をしないで流行したと勘違いしてしている人間たち!!!

そうアメリカ軍のウォークマン情報も父から聞いていた!

大きなラジカセからアメリカの若者がウォークマンをやりはじめたって!
兵隊さんも軍内の早朝マラソンもウォークマンをしているよ^^

やっと流行り始めたんだ!
ウォークマン2生産から数年たっていた?

そう僕もアメリカ軍の横田基地を通ってサーフィンに行っていたので
基地内でウォークマンをする若者を見ていたのだ。

流行り始めたら僕の興味も終了で冷めてしまった僕。
典型的なHSS型HSPの繊細さん!

その後
SONYが注目を集めたが僕はもう冷めていた。

次を次を
新機種ラッシュでした。

これ見てアメリカの人間は何を考えるのか?
アップルの存在でした。

日本のお客様がアップルに乗り換えだした?

その頃は僕のお給料はずっと上がらないし
やる気がなかった。

やる気のない社員はウォークマン工場には置けないってか?

僕に違う工場に行ってほしいと
白羽の矢が向けられた!
それは改善をしてきてほしいというのだ!

今のお給料で違う工場って
やめた方がいいのかなって?
僕はここでは必要ないってことのようで
僕はウォークマン工場で働き出してからずっと何十年とやめる覚悟でしたので
は~~い!
必要ないのなら僕は会社を辞めます!

そういう意味で別の工場に行ってくれっていうのでなく
あなたが必要だから手を貸してほしい!

だったら手をお貸しします。
でも
その間も改善千本ノックで会社にメリットが出る改善を繰り返していた。
もっともっと刺激がほしかったアイデアマン!

刺激を求めるがもう少しお給料が上がらないと生活できないから辞める!!!
僕の改善は企画書を書かない改善をしていたので
実際には会社の評価になっていなかったのだ!!!!

だって数億改善してもお給料はかわらなった????
しかも誰が改善のきっかけに改革をしたのかわかっていて
上司の昇進だけ?????それは俺のアイデアでアメリカ的経営????
少しはお給料が上がる評価システムでないと
僕は転職を考えていた。
SONY工場では僕の安月給でも
入社したときの気持ちを思い出した
またやる気になった。

評価システムがかわって少しテンションが戻った。
たぶんあのお給料では・・・・

最後の最後までウォークマン工場で働くことを決めた僕でした。
あれからまた改善が始まった!
今度は年に1回なら企画書を書く改善をした。
その他の改善も全部を企画書にして事業計画に載せる僕の仕事になった。

僕の働き方が下手だと上司に言われた!
だってほとんどの改善は僕のアイデアを元にウォークマン工場が動いていた。
その元は両親から僕が教育を受けていた
アメリカ的経営だった。
すなわちドラッカー経営をウォークマン工場に持ち込んだのは僕!

盛田会長がアメリカ的経営をSONYでやりたいと考えてドラッカー経営を導入したが
僕の考えが本社まで届いたようでした。
最近のですが盛田会長がアメリカ的経営をしたいと相談していた動画を見た。
それやっぱり僕のSONYルールを突き破る僕の改革はうえまで届いていた。
それもそのはずですよね!
僕はラスボスまで届くように改善をすすめてSONYルールを変えていった
入社したばかりの底辺だった社員!
マジで出る杭になってお前は首だ~~!
今でも鮮明に記憶に残っている。

盛田さん?
社長さんは岩間社長さん時代のSONYからイノベーションという
アメリカ的経営が導入された!

SONYルールのラスボスまで届けと改善を始めちゃった僕!
僕が喧嘩をしたSONYルールの責任者は盛田会長だったのだ。
自由闊達にして愉快なる理想工場にする井深さんの決めたSONYという会社!
SONY製品に関わるすべての人がフラットに自由に働ける未来を目指していた!
これがなかったら僕はとっくの昔に首になっていた!
生産革新のような働き方で改善でなく
僕みたいな底辺だった人間も自由にアイデアを出せて経営に首を突っ込んでいた!
アメリカ的考えでウォークマン工場でひとり改善をしていた。
それはドラッカー経営そのものでした!!!
それでもって底辺の中途社員だったので僕の出すぎた改善がどんだけのそれで利益計算をしたら
それは数億円以上もの成果金額をだす改善でした。

それはイノベーションですよね!
僕は首にならなかった!!!!!!!!
自由闊達にして愉快なる理想工場
これを説明すると
SONY製品に関わるすべての人がフラットに自由に働ける未来を目指していた!
僕の働き方こそが井深さんが願っていたものだったのです。
だって
中途採用の底辺の僕がSONYルールを無視して
もっと効率のよい方法にしただけです。

トヨタの真似で生産革新がSONYに入ってきたが
僕がその軍隊方式をするのなら会社を辞めていた!絶対にね!

トップからの改善が生産革新ですが
破壊型イノベーションという!

僕はボトムから改善をしていた
それは持続型イノベーションとも言う!

最近でも持続可能な社会を目指しているが
僕は1981年からずっと持続可能な改善で改善千本ノックを
ウォークマン工場で行っていた。

変わらなかったのは僕のお給料の評価でした。
まったくやる気を無くしたが持続型改善は実行して改善提案を広めていた。
なんか?
時計会社でワンパターン化した仕事に飽きて転職をして
ウォークマン工場でイノベーションを起こしたが
またワンパターン化して僕には刺激がなかった。
アイデア改善しても評価されないウォークマン工場を辞めるつもりだったが
なぜか?
僕が願うと社員評価が僕に有利な評価基準に変わったのだ

SONY製品に関わるすべての人がフラットに自由に働ける未来を目指したが
社員評価はむずいよね^^;
不公平評価!
自由闊達にして愉快なる理想工場を目指した僕の評価最低だった。。

各個人のエンジニアの技術は世界一かと思います。
自由に動けるし楽しいものも作れる何でも作れる
それをまとめる井深さんや盛田さんのようなまとめるリーダーが不在?

ドラッカーがいない
ドラッカーの会社?
求められるのは
日本流のドラッカー思考で経営をできるリーダー
商品開発もあるがそれだけではない
僕がスキーヤーにウォークマンを願って広めたマーケティングを行ったが
顧客満足度や顧客を感動させる経営になっていない!

今はSONY商品は転売ヤー達が買い占めてしまう
楽しむ顧客まで中々届かない。。

顧客を感動させるにはどうしたらいいのか?
考えてほしい!

日本流のドラッカー思考を身につけてほしい!
アップルの方が日本流になるドラッカー思考はSONYより上だったから
ウォークマン工場は閉鎖にまで追い込まれた!

時代はデジタルの世界で僕もアイデアマンなので情報を集めだして自らデジタルの
プログラムソフトを組めるように自己流で勉強した!
EXCELのVBAを使って機械をPLC経由で動かせるようになっていた。

シーケンサープログラムも覚えた。
VB言語もおぼえた!

EXCELから機械を動かす最新のテクニックも習得する!
僕は馬鹿だけどやる気にさえなれば天才級になれる!
馬鹿もおだてれば木に上る??
ちがうな~~
豚もおだてりゃ木に登るでしたね!

僕が動いたのは製品改革でなく
製品を作るためのデータ情報収集システム

そこで気付いていたのが
デジタルオーディオになって
ユビキタスでいつでもどこでも間単にネットワーク情報が手に入る世界がくる!

これはパソコン操作から行うのでアメリカのソフト
ウィンドウズやアップルがライバルになるってことを
予測していた!

様子がアメリカ有利になって行った。。

これは誰でもアップルがほしかったのではないか?
ウォークマンが過去のものになっていた。

製品企画でも
僕が首を突っ込めばよかった僕は後になって後悔しています。

僕はSONYの神の領域には足を踏み入れなかった。

けっきょくあっぷるにまけてうぉーくまんこうじょうがへいさ。。

何が悪かったのか?
僕は感じ取っていた繊細さん!

これは言っては駄目なので
それは僕がいたからに閉鎖になってしまったことにしてくれ!
って少し上に書いてあるか^^

僕がもっと動けなたら閉鎖にはならなかったよ!

両親の入退院を二人して入れ替わり立ち代わり
仕事どころではなかった。。

ひょっとして
ウォークマン工場って僕がアイデアマンとして改善を続けていたから
つぶれなかったのか?

そんな感じで閉鎖になった。

僕が早退遅刻を繰り返して病院に行っていたから・・・・?

やっぱ僕がやる気になれなかったので僕にも原因があるのかな。。

反省。。

でもたくさん改善をして世の中をイノベーションしてたから
楽しかった^^

顧客満足度やマーケティング

ほとんどがドラッカー思考で私が動き放題の会社だった。

カイゼンマンの一人として改善の導入は大成功だったのかな!

入社したときはSONYルールという幻のルールがあったので
改善をすると叱られた僕!
修理だけをしてくださいと入社当日に怒られた僕!

問題があっても改善はできないのですか?
これウォークマン2って世の中では騒いでいるけど
表示がWALKMANで2がないけどそれでいいのですか?

完全に皆さん見えていなかった
固定概念にSONYルールがあった?
本当はなかったのです!
SONY本社の言われたとおりに製造することだけしか頭になかったようでした。

ウォークマン2では問題がでなかったのか
スムーズに流れていましたよね!

この会社の改善提案用紙があれば数枚ください!

僕は改善提案を復活させようとすぐに思いました。

時代時代に合わせたアイデアマンに僕はなるために
自ら勉強をはじめた。

必要なら本屋さんに行って専門書を購入。

ほとんど土日はお勉強をしていました。

皆さんそんな忙しい中で
よく結婚まで考えていたよね!

結婚する人間
結婚できない人間

色々いますよね!

僕のことはどうでもいいですが
付き合ったこともない人間もいるようですよね!

知り合える機会がないのもありますけど
ほとんどが職場結婚ですよね!

偉くなれば結婚もできるけど
それはお給料の関係です!
安月給の人間は結婚できる生活すれば破綻になりかねない
家を買う???
それはムリでしょう!

でも
異性と付き合ってみてほしいと願っている!

そんな簡単に見つかるという
女性開発チームがつくった恋人も友達も探せる男女マッチングアプリ”Ciel”

日本初のワンストップ型マッチングコミュニティ【ciel】



エンジニアが苦手な出会い!
電車男になったつもりで
友達を作ってみて恋人でもいいよ!

まずは最初の一歩からだよ!

ではがんばって!

PS
僕が言いたかったのは
アメリカ的ドラッカー思考をそのまま取り入れたことが駄目ダメです。
日本流に直してドラッカー経営をするべきだったといいたい!
海外から呼び寄せたアメリカ的経営がSONYをダメにしたと僕は感じていました。
僕がウォークマン工場にドラッカー思考を浸透させたのは日本流にしたドラッカー思考です。
ストリンガーさんがアメリカ的経営をそのままするのか?
盛田さんのドラッカー思考は日本流の家族的な経営も存在したドラッカーだった。
だって
僕がSONYルールを無視したらそれは首ですよ!僕を首にはしなかった。
それはアメリカ的経営とは違うドラッカー思考の導入だった。
もう一度思い起こしてほしい
自由闊達にして愉快なる理想工場!
それは日本流の家族的なドラッカー思考なのだ!
全社員が平等の精神がそこにはある!
僕が動けないようにする経営だったので改善をしていたが
僕の記憶には残っていない??????
僕は時間泥棒にあったのか??????
不思議な時間を過ごしたのだ。

ちょっと今回はいろいろ書き過ぎたかな?

僕しかわからないパスワードをつけますので
期間限定で見えなくなります。

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