SONYのイノベーションとマーケティングと顧客満足のきっかけ!一人のドラッカーから・・・

ドラッカーのこの一言がなかったら僕は首になっていたのは事実!

「企業はなによりも、
アイデアであり、アイデアを生むことのできるのは個々の人間だけである。
勇を鼓して自ら思考し、
“既成観念”にあえてそむける人なくして、
その企業の成長と繁栄は望めない」
ドラッカー

既成観念=世の中の社会のルール

僕は高校生の頃から
改善をしていたのでウォークマン工場で既成観念は無視して
今のスタイルに合わせた改善を進めていた。

既成観念って世の中の常識ですが
改善をすると
会社の中でルールがあるという????
じゃあその会社のルールを出して頂こう???
そしたら
そんなルールは相手が都合よく決めたルールだったんですよ!

こういうことが何度もありましたね昔は!

アメリカの会社がどんどん成長するのにはこういう訳があるんですよ!
常に成長する概念を持っている!

こういうのは日本の経営者にはなかった!
今も改善をしないでつぶれる会社は多いよね!

新型コロナで大ダメージを受けて
事業を縮小して存続するしかない!!!

でもそれは
以前からの
既成観念があるからそこから抜け出せないんだよ!

日本流のドラッカー思考で
日本の既成観念を無視できる人間が育ってほしいよね!

でも
ドラッカー経営になれば首にはならないけど
既成観念がある会社での改善のアイデアは
出る杭になるのだから首を覚悟でするしかない!
そんな馬鹿は日本でできるのは
僕のような父がアメリカ軍基地で働いていたて
母も横浜の磯子に住んだことがあって
アメリカの考えを取り入れて生活する家族でした!

母は洋服屋で経営者からマーケティングを習って
その時のお話を聞いているのが僕の子守唄でもありました。

父もアメリカ人の考えは日本人と全然違う話を
夜になると毎晩晩酌で酔っ払いながら
息子の僕に話してくれて僕は大人になりました!

そんな時、小学生5年生の冬に
父の車で苗場スキー場に行って滑った帰り道
アメリカングラフティーのような格好のオープンカーに乗っていた
若い3人
運転者が男子で
女子席に女子
後部座席に女子でした。

なぜ苗場スキー場に行ったのかっていうと
有名人の撮影があるって母がどこからの情報で
行ったのですがプリンスホテルで撮影していたようで
スキー場には現れなかった!

そのアメリカングラフティーのオープンカーこそがその有名人だったようです!
それが
ベロンベロンに酔っ払った運転で僕の乗っている車の側面の
当たって追い抜いていった!

一旦ぶつかったからオープンカーも停止して
無事なことを確認したらぶ~~~んって行ってしまいました。

職人の父だから追いかけたが子供の妹も乗って
家族4人いたので
俺一人ならどこまでも追いかけて言ったって・・・・・

高崎あたりまで来たら
父の興奮も解けて
追いかけるのをやめました。

その話は僕の家族4人だけの記憶にしまった!

だけど
あの映画から飛び出したような車や格好!

あこがれました!
どこかのやくざものが映画の俳優の真似をしていたのだろうか?
色々僕も考えましたが

ああいうのは芸能人では当たり前なのを
雑誌とかで見て

僕もなりたい
映画のオーディションが目に入って
東宝映画のオーディションを受けたのです。
その女性があまりにも美しかった!

おませな
小学生でした^^

その事故は家族しか知らないことだったのですが
僕はギターが好きで
北の旅人の譜面を買ってテレビの特集で一緒に弾くのが楽しみだったんです!

石原裕次郎さんの名曲ですよね!
そしたら
その番組で裕次郎さんの奥様が
あの時の事故の話をしているじゃありませんか????
ハ~~~~~~~~?????????

僕があの時に美しい美女は裕次郎さんの奥様だったんです!
映画の帰り道に映画でつかったオープンカーで都内まで酔っ払い運転で帰った
って
今まで生きていて裕次郎さんの奥様は胸につっかえていたのでしょう!

美女二人を乗せて運転して俳優さんはお亡くなりになったようです。。

頭にスカーフを頭巾のようにかぶって
スカーフがなびいていた!
大排気量のオープンカーは
ホイルスピンをして僕の家族が乗る自動車にこすって
大きな音の衝突音がしました!!

でも
自動車もなんともなく怪我もありませんでした。

苗場の帰りの家族に当たってきたのは
裕次郎さんの奥様となる映画俳優さんを乗せたオープンカーだったのです。

あんな夢のある格好になりたい!
単純ですよね!
数ヵ月後には東宝映画のオーディションに受けていた僕!

美女を二人乗せて都内まで酔っ払い運転で帰ったそうです。

母も父も亡くなってからテレビで寂しくギターを弾いていたら
突然石原まき子さんがテレビであの時の事故の話をしはじめた????

まだ妹にも話していません!
BSだったのかな?
北の旅人の裕次郎特集を見ていなかったら・・・・・
偶然僕も番組表からチャンネルを回したら
その時の事故の話をしている石原まき子さま

なんか石原軍団を解散するお話をする前に
あの時の事故の話を番組で話始めた??????????
たぶん裕次郎さんと結婚を思い出すと
あの事故が石原まき子の心にずっと引っかかっていたことのようです。

あの事故はずいぶんと大きな衝撃音が鳴りましたよね!
僕の乗っている目の前に当たったので今でもおぼえています!

だって
あの当たった衝撃のある場所って
衝撃で崖から落ち可能性もあった!
三国峠ではまだガードレールがなかった!
僕たち家族の車が当たった衝撃でスピンして崖に転落になりかねない事故だったのです。

それより
石原まき子があのオープンカーに乗っていたってことは
あの反動で崖に転落してもおかしくない事故でした!

追い抜いた側の崖にはガードレールがなかったからね!!!!

もう一人の美女も映画俳優だったそうです!

運転者も酔っ払い運転をする俳優!
今だったら大問題ですよね!

今だったらそんな酔っ払い運転のオープンカーで都内まで帰らないですよね!

これって神様のいたずらなの???

あの時の小学生だった僕は
すぐに映画俳優ってひと目で分析した能力は学年最下位の学力だったけど
なぜか解析していたのが大当たり!

そもそも家族で苗場にスキー行ったのは
生まれてはじめてで
いつもはおじさんに泊まりで岩原スキー場に毎年行っていた年末年始!
苗場に行ったのは有名人を見たいっていう母のアイデアだった!

石原まき子さんには
運命的に出会っていた僕!

あの美人さん誰だったのか不明のまま生きていた僕!

たぶんあの事故は僕と石原まき子さんしか知らない記憶!

その後
石原軍団の解散????

その事実を知っていれば
僕は再び映画俳優を目指して
石原軍団の門を叩いていたことでしょうね!
いや絶対にね!

僕も石原軍団のように
既成観念にとらわれない様に生きてきました!

ウォークマン工場をドラッカーとして入社したので
既成観念を完全無視した働き方でした。

ほうれん草の報告もやらないで完全の既成観念を無視したアイデアで改善していた僕のような人間は
一人だけでした!

なぜか
僕の考えは既成観念にとらわれない?????
それは
職人という息子になるために育てられた僕!

なぜか
繊細さんで
刺激を求めている繊細さんでチャレンジ精神旺盛!

HSS型HSPの繊細さん!
マジでこれって特殊能力です。

アメリカ的経営が僕の中に入っている?????
俺の前世はアメリカ人???????
生まれてすぐにドラッカー思考????

たぶん
両親からの日本にアメリカ的な社会を求めての英才教育!
それがドラッカーです。

家ではお菓子屋を始めた母でしたがなぜか?
仮面ライダースナックは仕入れをやめました!
それはお菓子を買ってすぐにゴミ箱に捨てて帰る子供がいて
母がおばちゃんの見ている前でお菓子は捨てないでね!
お菓子を近所の子供たちに提供するためにお店をしているのだから
それでも
仮面ライダーのお菓子をすぐに捨ていて帰る子供!

何か違う??
顧客に何を提供しているのか?
はっきり理解できていた僕!
儲けを出すためにお店をしていたのではなかった母^^

仮面ライダースナックがほしければほかのお店で買ってねと
仕入れをやめた母!

経営の既成観念があれば売れればその商品で儲けを出します????
仕入れない?????
この社会現象も小学生の僕は見逃さないで分析をしっかりとしていましたよ!

それも母の教育の一環のようでした!

仮面ライダースナックも僕はおやつで食べていましたが
仕入れなくなって残念でした。

仮面ライダースナックのカードは目の色変えて集めていた人間は多いですよね!

まんまと企業の戦略に乗ってしまう収集家さん!
スナックは捨てていたことでしょう!

どっちがメインで
どっちがおまけなのか????

これも既成観念ともいえますよね!
普通ならメインはお菓子ですが
あれは確実にカードがメインでしたよね!

小学生でもそういう分析を皆様をしていたのではないでしょうか?
だったら
会社でもそれを使えよって考えられない会社員?????

首がこわくて動かない勇気がない。。
僕がなぜ動けたのか?

僕のアイデアで改善ができないのならやめようかと決心をしていたから!
僕のアイデアを使ってくれる会社を求めて転職をしていました。

僕がウォークマン工場に中途採用されなければ
SONYのイノベーションっていうアメリカ的経営はなかったのでは
勝手に思っています。

ウォークマンもたまたまカセットレコーダーから改造されたステレオ音源!
それは井深さんが求めた形のウォークマン!
そういう改造は電気エンジニアなら普通に行っていた!
僕も改造は好きですよ!
関係ないですね!
そして
盛田さんがこれは売れそうだって気付く!
売らなければウォークマンっていうものは生まれなかった!
今でも電気エンジニアで改造して遊んでいる趣味の世界!

そもそも
この時点でイノベーションって考えがあったのか?
盛田さんもドラッカー経営を進めるのか迷っていたそうです。

そんなタイミングで僕が中途採用でウォークマン工場に入社して
勝手にドラッカー思考で
既成観念にとらわれないで馬鹿のように
SONYルールを無視した社員が出現してどこを改善したら
・・・・・・・・・・・
内容はあまり云えませんが
僕の改善はイノベーション改革に等しかった!

これってHSS型HSPの繊細さん!
マジでこれって僕の特殊能力です。

僕がウォークマン工場に入社しなかったら
SONYからイノベーションの目標はあがらなかったのではと思う。

そして
お給料分以上の僕の能力の提供はしたつもりです。

僕が動かなくなって保守化に考えが変わった途端にウォークマン工場はなくなった!
そのタイミングは母が入退院を繰り返して母のお世話ができるようになっていた!
これも神様がそうさせたのか?
ふしぎなタイミングでウォークマン工場閉鎖。。
これも偶然なのか????
僕のここでの反省は設計部隊に首を突っ込まなかったことです。
っていうか商品開発へは馬鹿なので首を突っ込まなかった僕。

僕の思考は現実化する!
SONYの商品開発にはこの能力は使ったことはありません!
ウォークマン2のマーケティングで
広めるために苗場スキー場で勝手にスキーモデルとなり
終末は毎週のように出没していました。
僕の思考は現実化するように
最終的にはスキーヤーにはウォークマンをするのがファッションとなりました。
懐かしいです!
僕が動いたのは世の中に広めたいという
ウォークマンのマーケティングをひとりで実施していました。
社員がマーケティングを自ら進んで行うって言うSONY社員は僕一人でした。
それは僕がドラッカーだから当たり前の行動だったのですけどね!

マジでもう一度読み直してほしいことは以下のことです。
ドラッカー経営でドラッカーも言っています!
   ↓
   ↓

「企業はなによりも、
アイデアであり、アイデアを生むことのできるのは個々の人間だけである。
勇を鼓して自ら思考し、
“既成観念”にあえてそむける人なくして、
その企業の成長と繁栄は望めない」
ドラッカー

ひとこと付け加えると
イノベーションと顧客満足度
もうひとつ
忘れがちなマーケティング!
この3点はいつも一緒なんです!

イノベーションと顧客満足度とそれとマーケティング
成功したのは
聖子ちゃんのCMのウォークマンだったのではと
僕はこの3点の大成功を分析しています!

繊細さんしか感じ取れないと思います!
そしてドラッカー出なければ気付いていない!

僕がドラッカーとしてもう少し動いていたら
ウォークマン工場も閉鎖されなかったのでは考えます。

僕の責任でもある。。
工場の閉鎖!!!

せっかく
イノベーションって言う看板を出して動けるようにしてくれた盛田さんの行為!
僕の家庭の事情で病院の毎日の行き来で・・・・・
たぶん
僕が芸能人として活動していたら母の元にいけなかった!
イノベーションも母から教わった教育!
母の寿命はあとわずかしかなかった。。

父の心臓バイパス手術の時に僕もぶっ倒れたけど
もう残業はおことわり~~!
残業をやらないスタイルで会社への恩返しを僕はしたつもりです!
それはアイデアの提供でした。

無事に父もよくなったので感謝でしたが
いちおう障害者手帳を携帯しての生活でした。

ウォークマン工場では問題が出てもアイデアで解決できる人間は少なく
管理職になると自由に動けなくなる!
そのカバーをしていたのですが僕がいないと保守化の人間がほとんどでした。
アイデアを出す人間はごくわずかであることに気付いていました。

でも改善が得意な人間もいましたので
若者に任せるしかなかった。。

母の寿命まで付き添うできたことに感謝です!

僕のドラッカー思考を使えるようにしてくれたのは盛田さんが
アメリカ的経営を取り入れてくれたからなんです。

ウォークマン工場の影武者として
少しはお役に立てたかと思います。

この体験談は
東宝映画に出演するのに匹敵するぐらい大きな経験をさせていただいた俺!

普通の人間では
僕の経験はこわくてできないと思うよ!

だって
ウォークマン工場でSONYのルールで働いていた!
そのルール無視で経営を方針をひっくり返した行動の僕^^;

僕の行動はアメリカ的経営の日本流のドラッカー思考だったんです^^
そう
一人だけ佐◎木さんはドラッカー経営を学んでいたようでしたけどね

僕は馬鹿な振りしてしていたので
偶然と改善をしたように見せて演技をしていました!
俳優志願だった僕ですもの!
馬鹿な社員!
お給料も最低給料。。

いつやめてもいいので
首覚悟で改善を進めていました!
それは改善を通り越した改革!
イノベーション活動を一人で進めていました!

変わった社員が入社したと誰もが思っていたことでしょう!

ごめんなさい!
確信犯でした!!!

だってそうしないと僕の首はいくつあっても足りなかったよ!
首を何回も言い渡されたか・・・・

ではまた

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