1981年からイノベーションを一人馬鹿になり縦組織のルール壊し!職人のビジョンの進めてた。

会社は縦組織が常識でした。
統括組織!
行動するにはルールがあり上司にお伺いが必ず必要でした。

私は社会人になって出現した縦組織!
それがしっかりしているルールを元に動いていました。

社会ってこんなものかと
仕事やる気をうしなう20代でした。。

職人の息子として育った俺!

幼児期から建具職人であり大工である父の背中を見てきた!
全部の仕事を一人で行っていた。

障子の建具を作るときは
自分で材料をカットして不良は一切許さない!
全部の材料が寸法通りになるように
自分で品質管理を行う!

部品不良ゼロの世界が職人なんだ!
そして
組み立ては職人だから正確に組み立てをする。
L不良は自分で修理する!

一切不良が出ない職人技を見て育った俺!

社会に出て会社の縦組織で働く工場!

私は学生ではアルバイトは
道路工事の土方でアスファルトを真夏に仕事をしたり
ゴルフ場でキャディーさんをしてお小遣い稼ぎをしていました。

働くってどういうものなのか?
汗かくことを憶えました。

家では商売をしていた母の背中を見て育ちました。
売れ筋商品があってそれで利益を出していました。
小さな経営を目の前で見学できていました(笑)

そんな僕が社会人になり
工場勤務で働くエンジニア?

QC課が品質を操作していた。
ルールがしっかりしていて
軍隊のような動きでした。

まるで伝言ゲームをしている会社で
ひとり笑っていました。

あれ?????
仕事って一人で考えて動けないの?????
必ず上司に相談してOKをもらわないと動けない
がんじがらめ。。

僕はここでは働けない!!!!
団体行動が苦手な僕!

小学生では協調性がないって言われていた個性!
だから
俳優を目指した!
でも
協調性を演じるのはできるから溶け込むのはお手のもの

でも自分の仕事のビジョンがあって
父の背中を見て育った僕!

組み立て部品は不良ゼロの世界を見て育った俺!
建具屋の息子!

不良部品を組立工程に数%まではOKというルール!
お前は馬鹿?????

日本中が不良部品を数%までOKという
日本社会のルールこれは
縦組織の会社のルールでした。

社会人になって半年でその会社を辞めました。
そして
数ヵ月後には時計会社で部品を造る工場で
自動機を7台も自分が担当して自動旋盤を管理する仕事!
旋盤を動かして時計のプッシュボタンを造る!
もちろん
僕の仕事のビジョンは部品なので組立工場には不良を入れたら
それは製品を不良になることを僕だけは知識がありました!
それは
建具職人の息子として育てられたからです。

部品不良率はゼロで3年間継続させました。
私は目標を達成して3年間!
仕事に刺激を失う!

目標がなくなった俺!
時計会社が不景気になり
リストラ社員を募集したタイミングで
私は手をあげました!

その時計会社は縦組織でなく
自分が自由に動けた会社でした。
不良をゼロにするために自由に私の技術がそのまま
品質になるという!
管理をしなければもちろん
品質は生もので不良発生します。

でも不良ゼロにする油職工という職人技を習得した俺!

そして
私のビジョンである目標はラジオ工場で働くこと!
もちろん
その工場で私の不良ゼロにする行動を伝授することでした。

学生の頃にこの会社に入りたいところが募集がなかったので・・・
でも
職探しでその工場で募集していることを
友人から・・・・・

そして
面接試験と筆記試験を受けていた!
筆記試験がないところを希望だったのですが・・・
まっ!いっか!
筆記では頭脳全開で今でもおぼえている!
私の能力をフルパワーにしていました。
どこまで私の頭脳をテストするんだってくらいの
多くの筆記試験だった。

その会社のルールの規定をクリアしたようで
面接に辿り着いた。
品質課の募集人数が埋まっていたので
特別枠の中途採用だった!

明日から来てください!

見学をしていきますよね!
募集担当の人間が工場を案内してくれたら
今でも衝撃が走る
ウォークマン2が製造のベルトンベアに大量に流れていた!

もちろん
その工場はSONYの管理のルールで動いていた
私の大っ嫌いな縦組織!

部署の縦組織があって
会社の縦組織があって
SONYの縦組織のルールがあった。

私の目標であるビジョンがある!
それは部品不良はゼロの世界!

また動きが取れない俺
その会社のルールが邪魔で社会時になってすぐに会社を辞めた過去を思い出す!

でも私が見ている未来のビジョンは
絶対に世の中には必要不可欠!

不良入りの部品で作れば
その製品は不良です!

日本の社会が見ているビジョンと
僕の見ているビジョンが違いすぎた!
1981年の頃

建具職人が寸法が違う木材で組み立てるのと同じで
それは不良は明確に出る建具の完成品!
それは不良の完成品だろうが・・・

不良が出たらまずは上司に報告する
それを元に
品質改善依頼書を提出する!

そういう流れで品質改善をするという

この話は長くなるのでまた今度ね!

前にも話しているので・・・・・

1981年からイノベーションを一人馬鹿になり縦組織のルール壊し!
職人のビジョンの進めてた。

自分の部署の上司の報告もせずに
他部署に部品の品質改善をするようにお願いに行ったら
それは会社のルールでないという!

他部署と衝突する大問題となった!

何度もSONY本社から来る来るって言って
何度も来なかった
盛田さんがヘリで緊急で来ることになった!

もしかして
俺のやらかした行動がそこまで上層部まで伝わっていた。

その後
私の担当していた課長から
あなたが今どうしたいのか?
ビジョンがあると思います。
未来見ているビジョンを書いてみてください。
どこが問題で
その原因がどこで
どうすれば改善されるのか
対策まで
レポートを書いてみてください!

私が見ているビジョンは
課長部長のお仕事なんですよね!
でも僕はそんなのは知らない振りを演じていました。
馬鹿な振りをずっとしていました!
ちょうどいいのが
僕はサーファーなので真剣に不良をゼロにしようとしている
人間とは思われないようで・・・・

私の行っていることは経営に関すること
それを底辺の中途採用の社員が動いているのでは目障りですよね!

僕は会社を辞めるつもりで
首を賭けていました。

私の行っているビジョンを反対するのでは
SONYもこんなものかとやめる覚悟でした!

いろいろ行った馬鹿なサーファーの振りしてね!
サーファーって何も考えていないように見えるから
都合のいい
隠れ蓑でした^^

ウォークマン工場を超一流にするために動いていた!
サーファーの馬鹿な振りしていた俺!

馬鹿な振りをしないと
イノベーションを起こすとそれは首になります!
これが日本の社会の縦組織の常識を私は把握していました。

そこで
SONYが変われば
日本のSONY関連会社もその他の会社も
右へ習いすることを見てきました。

それは
私がスキー場でウォークマン2を持ち込んで見せびらかせていた苗場!
数年後には
各地のスキー場でウォークマンをしながら滑るスキーヤーやスノーボーダー達でいっぱいでした。
一種のスタイルを作り出した。
スキーヤーにはウォークマン!
ボーダーにはウォークマン!

スキー場でウォークマンをして音楽を持ち込むスタイルは
僕が初代ウォークマンから見ていたビジョンです!
でも購入できなかった僕。。

それがウォークマン工場で働いて購入場所が丸井デパートで売っていることを知る
その数週間後に購入してその冬から苗場に持ち込んでいました。

たぶん
私がウォークマンをスキー場で使い出した1号で間違いないです。

私が仕掛けた
スキー場でのウォークマンを使う!

私は仕事以外でもスキー場で宣伝を行っていました。
それは私が東宝映画のオーディションで合格して
俳優の道をあきらめて電気エンジニアを目指したので
私のスキルを全開で苗場でウォークマンをして滑っていました。

私のリーダーである上司に話した!
一人でウォークマンをスキー場で流行らせるために
毎週苗場スキー場でウォークマン2をして滑っていますとね!

じゃあ俺たちも連れてってと
ウォークマン工場スキーチームで各地のスキー場めぐりが始まった!

1981年では誰一人もウォークマンをして滑っていなかった!
そして
数年後には半数以上のスキーヤーがウォークマンのヘッドホンをしていました(笑)

私が動くと世の中が動く!
これマジです!

私の思考は現実になる!
まぎれもない現実です!

あんだけ流行らせて
私のお給料は9万円でした。。

中途採用のお給料は新人の正社員より低かった!

実際の世の中を動かす人って
お金じゃあないんですよね!

未来のビジョンがあって
それが見えている予知能力がある!

行動するからそれが現実化する!

世界のスキー場でもウォークマンをする画像を見ると
私の行動はお給料以外にお休みの日に行ったことでこんなに
凄いことをしていたのかと驚きました。

ソニーの盛田さんもスキー場でウォークマン2をして
スキー場の頂上での写真をタイムズで見ました。

ウォークマン工場での不良社員が流行らせたマーケティング!
世の中では
なぜスキー場でウォークマンが流行ったのか?
自然と流行ったと思われているけど
私たちウォークマン工場チームのスキーヤーが
関東や東北や遠くでは白馬まで遠征に出向いていました。
もちろん
ウォークマンのするスキーヤーとしてね!

苗場国際スキー場には特に足を運んだかな!
外人もいて都市圏のスキーヤーも多くの人間がいたので
口コミ作戦が私のマーケティング戦略でした。
地味ですが各スキー場にも出没したのでかなり広まったと思われます。
スキー場に毎年行っていれば一目瞭然でした!!!

SONYに貢献どころか
ライバル会社にも貢献をしてしまった
スキーヤーにウォークマン!
一種のファッションになっていたかな!

今では常識ですが
1981年には誰一人スキー場でウォークマンをする人間はいませんでした。
僕だけでした。

盛田さんも心臓手術をしてすぐに
海や山へ繰り出すパワー

スキー場でウォークマン2をしてスキーをしていました。
盛田さんの未来のビジョンにもあったのかもね!

ウォークマン工場の不良社員が代わりに休日中に流行らせていた行動は
かなりの貢献度を上げたと思います!

マジで私は盛田さんと話をしたかった。
不良社員を演じていないとイノベーションを起こす前に首になってしまう世の中!
盛田さんまでスキーヤーがウォークマンをするのが流行っている声は届いていたと思います。

今の時代は統制型の縦組織ルールでトップダウンから
オープン型のビジョンをあったら個人が動けるものに変わって来た。
ボトムの人間が報告無しに横のつながり仕事ができる!
今では他の会社とウォークマンにアニメのコラボレーションが可能ですよね!

私が1981年時代からSONYに持ち込んだ組織に変わって来ている。
ルールは壊すためにある!
昔のルールのままでは革新はおこらない。

今では常識が変わってきて
イノベーションを起こしても首にはならなくなった世の中です。
馬鹿な振りを演じなくてもよくなった良い世の中ですよね!

でも出る杭は打たれるは変わりないようです!
でもですよ!

出すぎた杭は打たれない!

ぶっ飛びすぎて
何をやっているのかがわからないようです!
それが情報社会!
日本では電子化が遅れています!
まだ
FAXを使っているという???

おじいちゃんたちはもうすっこんでいろっていいたい!
日本の情報社会が遅れている理由は
お偉いさんが電子化に弱いこと!
パソコン使えるのか????

これ以上は俺でも言えない現状!

スポンサードリンク

コメント

▲トップへ戻る

ブックマーク