石川無線電機(株)との出会い!ラジオ好きだった小学生だった俺!

もう前に話ましたが
ラジオが好きでラジオの小さな会社へ履歴書を持っていったことがあります。

そして
カセットテープレコーダーも好きで職を探したけど
まったくなかった。。

ラジオ好きだった小学3年生だったか4年生だったか?
ラジオ付カセットも2台も分解して壊してしまった俺!

アマチュア無線を小学生で国家試験を合格して
見学にその家に行った覚えもある!
先生の子供だから頭がよかった同級生!

大人になってから世界に太陽光発電を広めるために
国のボランティア活動でずっと活動していた同級生

アマチュア無線をやるほど好きではなかったが
CB無線をやっていた俺

中学生ではラジオ製作の雑誌をいつも読んでいた!
確かそこには
石川無線電機のラジオが載っていた覚えがある!

こういうの作る会社で働きたい!
そのタイミングで
小学5,6年生で戦争帰りの水兵さんの担任の先生だった!
日本でも教育関係で日本を飛び回っていた!

沖縄返還にも呼ばれて
忙しかった先生!

あのとき先生が
俺の教え子だから
お前たちには普通の子供以上になるように
特殊な授業をするけどいいかな?
いまでも伝説の先生になっている先生です。
マエストロで吹奏楽でNHKホールに行くぞ!
オーケストラを作った先生

日本一になる方法を私たちに伝授してくれた!
世界一になってもいいんだぞ~~!

その他いろいろなことを私たちに目の前で
日本一になっていく!!!!

NHKにも行くようになってから
授業内容も撮影に来た!

そんな中に私は生徒として特殊授業を受けていました。
今その授業を分析すると
先生は目標を立ててたらそれを因数分解してできる様にして
大きな目標も小さな目標の成功の繰り返しを教えたかったようです。
ですがそれだけでなく
ずっと考えているとそれは成功に導いてくれることも伝授してくれた!

それが今では引き寄せの法則というらしい!
そして
ザ・シークレットともいって
世界中の偉い人間もシークレットを使っていたようです。

実は私もそのシークレットを利用して
中学生の頃
ラジオ製作で見ていた
石川無線電機でラジオを作っている会社で働きたい
それを目標に色々職探しもしたが
あきらめずにはじめは電機のソレノイド会社だった。
そして
時計部品でちっさな部品を不良ゼロで作るスキルを身につけた!
ワンパターン化したので飽きてしまって
3年でいいタイミングで不景気になったので
人員整理で手をあげた俺!

転職するにも職がなく工場長に止められた俺!
でも理由がないと工場長は納得してくれなかったので
郵便局でアルバイト募集していたので
郵便局で働きたいって言い訳をして退職!

おかげで新車とワタナベホイールを新品で購入した退職金!

すぐに働きたくて職探し
どこもいいところはない!

引き寄せの法則はまだ動いていたのでした。
どういうわけか?

石川無線電機の名前が変わっていて
ボンソン電子だった。

友人も会社転職でパイオニアに入った
俺もパイオニアに行きたかったが
募集は終了だった。。

その友人から
馬鹿でかいSONYの看板のところで募集していたよ!

即効で募集で履歴書をもって面接だけだと思ったら
適正があるのかペーパーテストがあるという。。

しかも
募集はもう終了していたのだ。。

普通ならそこでバイバイなのだけど
テストした結果次第で入社できるということになった。

久々に頭脳フルパワーで頭使って頭が疲れた記憶がある!

あなたがよければ
その頃の初任給からスタートするけど
面接をして合格すれば入社できるといわれた俺!

その時はその会社はボンソン電子で
石川無線電機とは気付いていなかった!!!

入社すると
SONYの前身である東京通信工業の空箱を使っていた。

そして
石川無線電機の空箱も存在していた。
私は見てしまった。

石川無線電機の文字!!!!!

中学生の頃に
この会社で働きたいな~~!
製品を扱う社員を夢を見ていた俺!

そして
電気工学を学ぶ!

小学生6年の卒業のときに伝授してくれたマエストロ先生の
引き寄せの法則が動いていた!

マジで石川無線電機の文字を見たときに
運命を感じた!
しかも入社が私の誕生日が入社日だった!

この引き寄せの法則は実は小学生卒業で
小学生の大人になったらの目標を立てていると思います。
あれはマエストロ先生の海軍の日本の頭のいい集合体で
日本の未来を教え子に残した教育です!

世界中の歴史上の偉人さんたちが使っていたものを
日本では義務教育で知らずに引き寄せの法則を使っています。

私はそのマエストロから直接教わった!
伝授してもらった教え子なのです。

日本一なる教育でした!
実は
世界一になる教育でもあります!

義務教育なので目標設定をきちんとした人間は
希望の仕事についていると思います!

戦争に行って帰ってきて
日本の未来考えてくれた海軍の上がりの教育者の教育!

それが
大人になったらどんな大人になる?
目標設定は今もおぼえていますが
目標は小学生卒業ではぼやけていていいけど
きちんと目標設定できれば
何をしたらいいのか?わかるよな!
その目標に対して何をしたらいいのか????
ラジオを作る人間になりたかったら
電気を学ぶ学校にいくんだぞ~!
そんな感じかな!

そして
それをずっと思っていると
私の場合は自然と情報が私に集まってきました。

ボンソン電子がずっと働きたかった
石川無線電機だったのです。

この話は誰にもしていませんが
ザ・シークレットのDVDを見ていたら
俺の目の前で起こったことは
まるで魔法のランプをこすったら
望みがかなった!
マジだよ!

それは海軍上がりのマエストロ先生の特殊授業だったんです。

もちろん
ラジオ付カセットテープレコーダーも作っていました(笑)

私が中学生の頃見ていた風景がそこにありました。

ウォークマン工場ですが
それ以外のカセットテープレコーダーを自社開発をしていました^^

朝霞キャンプドレークで働いた
父のアメリカ的働き方を父から伝授されていたので
私がすぐに改革を起こしたのはいうまでもありませんでした。

私もヨチヨチ歩きから朝霞キャンプドレークの木工の作業現場の中で
木っ端で遊んでいた頃を今でもおぼえています。

日本人の子供でアメリカ軍の基地で迷子になった俺!
ゼロ歳児か1歳でした。
日本人でそんな経験をできたのは父のおかげです。

それより
ウォークマン工場の前身は石川無線電機だったのです。
それは私が引き寄せたのだった。

ウォークマン工場でも日本一教育を行動していた俺!
秘密だったのですが
私はどうやっているのか誰もわからなかったと思います。
あの馬鹿が不思議な行動で
皆様が目が飛び出るほどのことをしていました。

アメリカ的考えは父からの教えでいわばドラッカーだったんです。
そして
ザ・シークレットも使っていた俺!

ウォークマン工場で私は自由な考えで働けました!!!
普通の会社では頭を押さえられてしまって
ルールを外れれば首だったけど
ウォークマン工場では自由闊達な僕の考えで働いていました。
こんな会社はどこにもなかったよ!
ルールが古かったらその場でわかるように馬鹿な振りして
ルール無視をする俺でした。

ウォークマン工場って製造が強くなっていたと思いますけど
私が裏で動いていました。
それは1981年の入社した時点からずっと製造部の改革をしていました。

ウォークマン工場は付加価値が小さいのでSONYに仲間入りすると
私から見るとすぐにつぶされる工場でした。

今も日本の改革を語るとウォークマンが話に出てくる
あのウォークマン工場を潰してしまった当時のSONY!

経営的に見れば仕方ないよな!
つぶれても・・・・・

って
両親が入退院を繰り返していたので
集中して仕事ができなかった。

私の考えが両親の病気に集中した時から
ウォークマン工場は傾き始めていました。

まるで
私がいたからウォークマン工場があったのかと
勘違いするほどでした。

私が何が言いたいのか????
わかんなくなりましたよね!

それは
ずっと目標設定を思い続けることです!

ウォークマン工場で自由闊達な僕の考えで動いていた製造マン!
それができなくなった時点から
つまらない工場なので私の能力はあまり使わなくなりました。

だって
他社と同じじゃん!
もっとドラッカー経営をして頂きたかった俺。
アメリカ的な考えをそのまま取り入れてしまったのかな?
お給料はよくなったけど・・・・・

自由闊達な工場ではなくなった?????

私がいつも言っている
社長の考えが神様として改善を繰り返していた
いわば私の保険でもあった!

ウォークマン工場を失ったのは大きかったよ!
衝撃的でした。
テレビで経済が不景気になるといつもSONYのウォークマンが出てきます。

石川無線電機の時もラジオ無線だけを作っていたのかな???
ラジカセを作っていなかったのか??

その時代時代で作るものを選んでいかないと
経営は悪化する!

ウォークマン工場も新しいオーディオができなかったのが・・・かな!

経営的にはつぶれて当たり前の工場だったのかな????

でも
よく引き寄せたよな~~俺!
自由闊達な工場ではなくなった時にやる気を失った僕!
一般常識的にはそれが正義かと思います!

でも
自由闊達で改革ができる工場だったので面白かったな~~!
あの経験は井深さん、盛田さんが存在していたからだったのかな^^
井深さん、盛田さんの理想がウォークマン工場が近かったのかと・・・・

感謝しています!
あの経験は普通ではできないですよ!
ありがとうございました。

石川無線電機の前身のボンソン電子にも感謝感激でした。

新しいものを作り続けるSONY
今後も見守っています。

毎回、モルモットであるSONY!

おもしろい考えですがもう少し柔軟な考えで
開発したあとを考えて真似のできないものを開発したらどうなんだろうか?

改革って恐がったら行動できないんですよね!
上司にでも喧嘩をできる人間でないとイノベーションは起こらない!

私は江戸っ子職人の父からいつも喧嘩をしろって教育された!
暴力も含んでいるので真似をしないようにね

正義のためには暴力を使う警察官も
あれは暴力で制止することもある!

改善するためには暴力も必要なのです。
そのことも教えだった父の教え!

ルールが間違っていれば喧嘩できる人間になれ!
そんな江戸っ子職人の息子が俺!

ウォークマン工場で黙っていられなかったので
自由に改善をやらせていただきました。

東京通信工業はSONYの前身で
細かいことは気にするなという自由闊達な工場の設立!

そのまんまだった
ウォークマン工場でした。

今だからドラッカー経営はたくさん存在します。
SONYははじめからドラッカー経営のようなことをしていたんですね。
細かいことは気にするなという自由闊達な工場では
個人個人がドラッカーとしてマネジメントも許される会社でした。

たぶん世界探してもこんな面白い会社はなかった。
今のSONYは知らない!

上司によっては改革を恐がって
部下の頭を押さえつける人間もいるはずです。

いろんな上司からよい所だけを学びました。
結構、改善を恐れている上司は多かったかな!
ルール無視の私の改善!
煙たがられたいた僕だったようです!

商品開発の経験を今ではしたかったな!
とんでもない商品が世の中に流行したかもね^^

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