40年前の中途採用枠のウォークマン工場の面接はふざけた真っ赤なポロシャツ

40年前の中途採用枠のウォークマン工場の面接は
自分の個性を出したかったので
私服のサーファーファッションで
赤いポロシャツで挑みました。

なんと履歴書も同じ格好の写真で
もろサーファーの日に焼けたまっくろけ~でした。

スーツは持っていましたが
普段どんな趣味を持っているのかその人間がひと目でわかってもらえるように
あえて真っ赤なポロシャツを選んだのを憶えています。

私がこの私服のコンセプトは面接者に私がどんな大波もチャレンジする
そんな自分がどんな困難な波でも体当たりする乗りこなせる人物像であると
無言のPRしたかった。
燃えた情熱を赤いポロシャツで表した私服でした。
入社してすぐに会社中を巻き込んで問題解決を首覚悟の体当たりで行動した。

サーファーってそこに波があるから波と戯れるのは得意なんです!
波の壁が問題解決をイメージするとその通りの行動力でした。

スーツの金太郎飴みたいな履歴書の写真でなく
真っ赤なサーファーのまま履歴書を張っていました。

この人間像は会社にとって何か期待してしまう人間と匂わせるのが
私の私服のコンセプトでした。その通りの人間なので・・・・・

東宝映画のオーディションにも行っていたので
演じることは研究をしていたつもりです。
私の私服のコンセプト?普段の私服なので全然緊張はしなかった。

SONYって面白いくわくわく楽しいイメージですよね!
わたしは当時もワクワクしていました。
初代ウォークマンを捜し求めていました。
いろんな電気屋に回っても売っていなかった!

その理由は初代ウォークマンは
電機業界では売れる訳がないと電気店でも置いてもらえなかったと聞いています。

そして
ウォークマン2も電気店に並ぶことはなかった
私はずっと捜し求めていました。

そしたら
なんとなんと
SONYの大きい看板の工場へ面接に行った場所で製造していたのです。

SONY社員って服装は自由!
別にスーツを毎日着ているなら
スーツでもいいけど
個性が出せないよね!

私は東宝映画のオーディションに合格したときも
個性を出していました。

その人間の良さをアピールできるので
スーツでなくサーファーの
真っ赤なポロシャツにさすがにジーンズはやめました。
サーファーのあの頃は流行していたグレーのすそが少し広がったスラックスです。

ハマトラの男子版


SONYの新卒の面接を調べたら
私服面接で
普段のままの自分の考えをリラックスして表現してほしい
もちろんスーツでもよろしいと書いてありました。

40年前の私が仕掛けた面接と同等でした。
わたくしは繊細さんで面接の当日にスーツ?私服?
迷うことなく真っ赤なポロシャツでした!
普通の会社ではこんなふざけた面接に来た奴は不採用です!

そこはSONY社員!
当時の私のふざけた面接が標準化していました(笑える)

中途採用でも自分をいつものチャレンジャーの自分を見てもらいたいから
私服でもふざけた真っ赤な服装でした!
いつもと同等の服装で面接!

40年前の当時の皆さんが採用試験はどうだったのかは私は知りません!
だって
私一人の採用試験だったので・・・・

でもですよ!
私がずっと感じていたことは
私のような不良社員が社内でイノベーションを起こしていました。

柔軟な考えができる人間を求めていると思いますよ!
今も同じだと思います。

ドラッカーで行動力がある人材だったら完璧です!

大学卒業すると頭でっかちで柔軟な考えが出来なく
論理的思考ですぐにはじめちゃう?
私も理論では負けないので論破していましたけど
動けよ!
考えるより動け~~~~~~~~~!!!
それが行動しないのよ!
お役所仕事と勘違いしている人間が多かった!

私みたいに
ウォークマン2をラインで作っていて
ウォークマン2のコンセプトは音楽を連れて歩く
これを知っていた。
私は会社の仕事以外にドラッカーだったので
これをスキー場で自ら広めようと毎週のように苗場国際スキー場にで
ウォークマン2をして滑っていた!
私がウォークマン2のコンセプトにプラスして
自分で自ら顧客となってウォークマン2を購入して
スキーに音楽を連れて行っていた!

そんな社員は個性のあった
面接で真っ赤なポロシャツで挑んだ私ぐらいです!

っていうか?
私服面接はずっと前からあったようです!
私もたまたま私服で真っ赤なポロシャツと履歴書まで真っ赤なポロシャツ
履歴書の写真を撮ってその服装で面接していました。

絵の描いたような私の普段の格好が人事課の採用に決まったようでした。
だって
中途採用で募集枠は埋まって終了していた。
だけど
ふざけた真っ赤な私服で採用面接に来た俺!
SONYはそういう個性を大事にしてくれる会社なんですよ!
私はウォークマンのイメージをしたのですが
サーフ&スノーの生活をしていたので赤と白のポロシャツ
受けがよかったようでした。

それもそのはず
出張の時も私服だから
でもスーツでもOKのSONY!

私服って普段のままの出張で仕事が出来るのでSONY社員の特権です!
緊張をしないのでいいですよね!

SONYの採用情報をみた!
私の私服のふざけた真っ赤なポロシャツで
この人間は燃えるような情熱を感じたのか?
どんな社員がイノベーションを起こすのか?
それは私服を見れば私にもひと目でわかります!
いまは私服面接が標準化されていた!
これには笑えるカセットテープ職人でした。

でも
私はふざけた真っ赤な服装だったけど
剣道は段持ちで
工場の社長さんが剣道をしていたので
時間があったらお相手をよろしくお願いしますと約束をして採用になった!

でも
一度も剣道する暇もなかった。。
当時のウォークマン工場の社長さんと剣道をしたかったよ!
だって
中途社員の募集枠を終了したのに
特別の入社をさせていただいた!
社長さんと握手をした覚えがある俺!

期待されたのは私の考えで組織のカンフル剤として
ガチガチの固い頭の組織改善でした!

私が所属されたときは
まだ、まとまりがなかった。

世界一のSONY工場
ウォークマン工場を見たときは一瞬組織として一流の会社でした。
でも
私は時計会社の部品をゼロで製造していた人間です。
そして
ドラッカーとして両親に職人の英才教育!それはアメリカ式っていうものでした。
私から見たウォークマン工場はまだまだ改善のする価値のある組織でした。

社長さんが私をカンフル剤として入社させてくれたので
私はそれに答えました。
会社中が私のイノベーションで大騒ぎ!
勝手の組織改革をする中途社員!
ウォークマン工場の社長さん公認だったのですが
私が仕掛けたときは社長さんは交代していました。。

マジ首を覚悟していた俺!

内容は書けないのですが
ウォークマン工場ではサーファーの馬鹿な格好で組織改革を勝手にしていました。

期待通りの中途入社社員の問題解決を勝手に動いていました。

PS
もちろん
サーフ&スキーヤーだったので
スキー場にウォークマン2を持っていったと同時に
海にも音楽を連れて歩いていました。
自分が製造した製品だから広めたいジャン!
人々の心を動かしてウォークマンの持続的購入を促していた。
当時はそんな考えがあったのは
ドラッカーの私だけでした。

今の採用基準って
もしドラも流行った事だし
どんだけドラッカーとして行動できるのか?

俺みたいな馬鹿は世界探してもいないと思います!
生まれた時からゼロ歳児から
アメリカ式って父から職人教育をされていた俺!
実は父の晩酌をオレンジジュースで付き合っていた。
子供言葉でなく
大人の男の仕事に対しての会話でした!
それがアメリカ式すなわちドラッカー思考だったようでした。

私の感覚は面接官には
特別に映っていたと思います。

だって
募集枠が終了した。

普通なら募集は埋まりましたで履歴書ごと返されてしまいます。

でも
何かを感じた面接官は私を特別に筆記試験と面接まで行ってくれて
入社まで決まってしまった。

私は特別に中途社員として入社が決まった!
ツイテイル社員!

あの時に私は入社が決まらなかったとしても
SONY本社に中途採用を私服と履歴書を真っ赤なポロシャツで行く覚悟をしていました。

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