時計職人として部品を3年間工場で作っていました。私の修行道場!

時計職人として私は旋盤があれば部品を作れます!

マニュアルの時計部品を作れる旋盤を自分でもつくれますので
ロレックスとか部品がないときは
自分で部品を作る旋盤を作ってから
その旋盤で部品を作る!
修理できる自信はあります。

たしか
時計職人になろうかと3年間の修行でした。
時計職人って学校を出ないとその会社に入れなかった記憶があります。
時計の修理の学校は入っていませんので
時計工場で実践で学ぶ修行をしていました。

しかも工場では
不良ゼロの世界を私は学んでいました。

時計工場は部品不良を入れて作ってしまえば精密機械なので
不良の分だけ不良品になります。

昔から時計は部品不良をゼロで作っていました。
1件でも出たら全数見直しか
あるいは全数選別作業が大変なら棄てていました!

時計は何石って昔言っていました!
ギアの重要な軸にあたる部分に石を使っていたようです。
世界一硬い極小ダイヤかな??
コンマ1秒の世界!

不良部品を入れてしまうと
機械仕掛けではそれが不良となって左右されていました!
なので基本的に部品不良はゼロベースです。

ここまでいえばもうわかりますよね!

電機業界の製造の甘さが・・・・・・・
なんだ(汗汗)そのどんぶり勘定の不良率!
馬鹿かお前ら!!!!
残業がゼロにできね~~~~!
ふざけんじゃね~よ!
当時言いたかったけど

能ある鷹は爪を隠す!
爪にツメなし!

我慢できないときは
少し少し爪を出していた僕(笑)

当時馬鹿な振りして
わざと怒らせてごめんなさい!

ウォークマン2当時から
朱にまじあえば赤くなるを
電気業界にインストールしはじめました。
不良ゼロの考えの元祖はわたくしです。

私はドラッカーとして両親に育てられたので
一度にドンと改革をひとりではじめた!
そしたら首になりそうだった^^
でも
盛田さんが本社からヘリで来て
会社の方針が決まったらしく
イノベーションがど~~~んと・・・・・

確か?ウォークマンプロのメカを作っていた当時かな!
私の首は盛田さんの考えひとつ次第だったようです。
そのころ
盛田さんはアメリカ的経営を入れるか迷っていたようでした。

私の勝手なアメリカ的な経営のマネジメントを
底辺の社員が始めちゃったから
会社で大問題になった俺。。
その噂が盛田さんまで届いたのか
タイミングが視察でした。
ドラッカー経営に興味があったようでした。
ヘリコプターですっ飛んできました。
本社からヘリで15分足らず!

私はこの会社に時計会社の考えをインストールしていいのか
迷っていました。

まさか?
底辺の馬鹿がドラッカーとは誰も思わなかったようでした!
見抜いたのは盛田さんただ一人だけでした。

心臓手術をしたのに
ダイビングやスキーをしている姿を
タイムズで見ていました。
私の記憶は女性に囲まれてスキー場でウォークマン2のヘッドホンをしている
盛田さんの姿が今でも残っています。

私は一人で進めていた
ウォークマン2のヘッドホンでスキーをする!
盛田さんも考えは私とおんなじだったようです!

いつか話をしたかった!
盛田さん!

最後は会社での写真の前の献花でした。

井深さんの時も写真の前の献花でした。

井深さん、盛田さん
この二人にはあってお話をしたかった俺!

小型化のウォークマンが世の中を変えていったことは間違いないです!
今のスマホの始まりは小型化のウォークマンと私は思っています。

私の夢はエンジニアでしたが
東宝映画の俳優をあきらめてからの電気エンジニアでした。
ソニーで東宝映画のような映画つくりを・・・・
ソニーで俳優タレントを育成できるところを作ってもらいたかった。
それは
1981年のウォークマン2を工場で流している当時から
井深さん、盛田さんに話をしたかったのだ!

まじで工場でイノベーションの方針がない前に
私がはじめたら
私以外は全員が敵でした。
トップの方針がないまま進める改革はマジで喧嘩そのものでした。
お前は首だ~~!
何度か大声で言われていました!

でも
会社では決められなくて
盛田さんがヘリで飛んできた!
マジそこまでのことを
俺はやらかしたのか??????
馬鹿な底辺のドラッカー社員でした。

超忙しかったけど
私は別のことも数個を同時考えていました。
ソニーで俳優タレントを育成できるところを作ってもらいたかった。

たぶん
ウォークマン工場では必要ないことですが
私が何を考えているのか
みんなはわからないのもあたりまえです。
今になってそれがHSS型HSPの性格と判断すると
自分でも納得です!
マジで天才です。
ひとつの情報で10の情報を同時に処理できるの力があるのだから天才ともいえる!
私にしては普通に仕事をしただけなのですが
私の考えは飛躍しすぎるので・・・・

馬鹿なふりもずっとすれば馬鹿に見えている!
出世はできませんけどね!
会社をずいぶん変えていましたよ!
またあの馬鹿か^^
またあの馬鹿か!
またあの馬鹿か!
天才とは誰も気付いてくれていませんでした。
アメリカ的経営を盛田さんと話をしたかったよ。。
今考えたら私が本社に行って
ウォークマン工場の底辺のドラッカー社員ですと訪ねればよかったですね^^
そこまですぐに気付かないで何十年たって
記憶がよみがえってああすればよかったと後悔。。

以上です!

PS
底辺の社員がもしドラッカーだったら・・・・・
マジで首になりそうになりました!
誰かアメリカ的経営をわかってくれている人間がいるだろうと
考えていましたが誰一人いませんでした。
助け舟は
本社からヘリコプターで緊急訪問した盛田さん来てから
お前の首が決まるって言われました。
私も会社を良くするために勝手にマネジメントを一人で始めた改革!
これがわからないようなソニーでは私は首で結構!

底辺の社員がもしドラッカーを実行したら
ソニートップがヘリコプターで現れた!
それが盛田さん!
盛田さんと話をしたかったけど
トンボ返りで本社に戻りました。

結果的には私の改革通りに会社組織が動きました。
さすが
私のドラッカーマネジメントを見破ってくれた
盛田さんでした!
さすが世界一の経営をする方でした。
今も私は尊敬しています。

製造部の底辺の社員が経営に首をつっ込むなっというのは
理解できます!

今だったら工場の社長に根回し無しで直訴できるお年頃になりました。

当時は経営方針も何も知らずに??
掲示もなかったのでしらね~し!

底辺の社員まで経営方針があったら
私はドラッカーなのでマネジメントで社長に直訴していましたけどね!
偉くはなりたくなくなかったので
エンジニアが経営にまわったら楽しくないじゃん!

だから
偉くならないように馬鹿を繰り返していました。
でも首にならないようにアイデアを小出ししていた^^
電気や機械に触れられなく管理職だったら
私は転職をしていましたよう(笑)

ウォークマン工場では
盛田さんに助けてもらったので
この工場がなくなるまでは辞めないと心に誓っていました!
だって
盛田さんが社長の時は製造工場の底辺の馬鹿なドラッカー社員にまで目を掛けてくれていました。
そんな大会社でそんな社長っていないですよ!
だってヘリで飛んできたんですよ!私を助けに^^
経営会議がメインでしたがそのやらかした私のドラッカーマネジメント!
私のマネジメント改善が当然経営に盛り込まれていました。
私は盛田さんは世界一の経営者と考えています。

製造部の底辺のドラッカー社員の案件を拾ってくれる社長さんはそういませんよ!
私の計算では数億円の削減になったの当たり前ですけどね!

そのマネジメント改善が通らなかったら私は辞める覚悟でした。

なぜ?
こんなことを書いたのか?

ウイズコロナ?
ふざけんなよ(怒)
私は不良をゼロに電機業界にインストールした人間です。
ゼロコロナだろうって
私はお役人さん達に強く言いたい!

緊急事態で出回っている人がまだまだ多いです。
不良率のどんぶり勘定とよく似ています。
それは
ウイズコロナで共に生きてゆく道です。
本当にそれでいいの?

ゼロコロナ精神をテレビで誰か伝えてくれ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

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