⑮ウォークマン工場に入る前からドラッカーであった僕のアメリカ的な父の教え!

ウォークマン工場の組織の壁を破って底辺の社員がほうれん草も無しで
問題改善したことは総務の人事の人間まで知られていた!

今考えると
SONYの盛田さんのトップマネージメントで
埼玉まで真っ白なヘリコプターが工場に到着!
本社から15分足らずと言っていたかな^^

かっこいいですよね!
まるで映画の世界に私はいるようでした。

マジでアメリカ的に経営を進めていた。
私の話も人事からあっただろうか?

とんでもない社員の私のやり方はアメリカ式です。
ほうれん草なして職人の子供として考えが自ら動くように教育されていた。
それは
アメリカ駐留軍基地で働く職人の父からアメリカ的な仕事術が教わっていた。
それはドラッカーでありました。

ほうれん草無しで勝手にひとりで問題改善をしてしまう底辺の社員!
普通の会社ならどこかに回されるところでしたが????
あれ~~?
首にもならずに私のやりたいように
私のアメリカ的考えは上司も課長の壁も部署の壁もない組織というイメージでした。
時計会社でもそういうラフな感じで不良をゼロにしてきた僕!
あれ?
この会社は違うのかって気付く。。
上下関係がはっきりし過ぎに私はここに問題があると気付いたから
勝手にひとりで改善してしまった。

でも
SONYの盛田さんのトップマネージメントで
私の行動は盛田さんのアメリカ的考えと一致していたのだろうか????
大問題にならずに私の行動の通りに組織の考えが改革した。
私は首を賭けてひとりイノベーションしていたことに
盛田さんが気付いたのか?
ウォークマン工場でもあったのでイノベーションだった。
これ以上は言えない!

でも私の首は盛田さんのトップマネージメントで
その後も働けるようになった。
マジで感謝でした。

私はサーフィンをしますが
盛田さんはウインドサーフィンを楽しんでいたことを知りました。
同じ海を愛していたんですね^^

完全に中途の底辺の社員が組織のマネージメントを馬鹿な振りして改革をしていましたので
でも、そこには会社を良くして顧客に品質のいいものを提供する考えがあったので
私の考えた通りに改革がありました。

マジで盛田さんに直接あって話もしたかったです。

白いヘリコプターで爆音でウォークマン工場に登場して
まるで映画のワンシーンでしたよ!

雲の上の存在でしたが
底辺の社員の首を守っていただいたことは私は忘れていません。

ドラッカーの私と盛田さんしかわからない世界でしたけど!
だって
アメリカ式経営ってそのまま日本に使ったら悪いところもあると思います。
でも
日本の家族みたいな馴れ合いの組織でもいいけど考えは変えないといけないと思います。
会社の歯車でもっと戦略的に企業戦士の考えで動けって・・・・
かといってアメリカ式で動けば家族のような団結はないから
ドラッカーの考えはいろんな経営のいいとこ取りでもいいのかなって
それより
ウォークマンの職人として私は動いていましたよ。

父からは手の職をつけろって
それは
ドラッカーのいうプロフェッショナルな仕事です。

盛田さんがヘリコプターで去った数日後
盛田さんのトップマネージメントがわかった!
それは
私のボトムアップマネージメントと統一していました。

マジで一度直接あって話がしたかった。
それは米軍基地でアメリカ式の中で職人として働く父の話をしたかった。
父は私が生まれる前からアメリカ式で働いて
日本のいいところも入れてトップマネージメントをしていたからです。

盛田さんのウォークマン工場の底辺の社員でしたが
今も感謝の気持ちでいっぱいです。

ありがとうございました。

PS
私の意見が通らない会社だったら
私はすぐに辞めるつもりだったのは確かです。
何をやったのかは、昔の考えを捨てようよ!
怒られてもいいので私は改善してしました。
改善した相手はカンカンに怒っていましたから・・・
でも、そこにイノベーションはおこりました。
なので、イノベーションとは怒られる事にあるかも^^
でも私の考えが通ったことは盛田さんのトップマネージメントのおかげです。
トップがアメリカ的に考えであったとその時は思いました。
入社してすぐだったけど、やめずにもう少し頑張ろうかなって・・・
ウォークマンを世界に広めた生産活動の一員になったことは
私の生涯の宝物です。

ドラッカーが現在も経営といわれていますが
そのまま日本に導入するのは私はどうかと思います。
各会社によってドラッカーのいいとこ取りで
その会社の風土に合ったドラッカーの教えを使えがいいのではと思います。

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