⑧ウォークマン工場に入る前からドラッカーであった僕のアメリカ的な父の教え!
幼児から職人の父から教わっていたこと!
父は建具職人時代に自営業をしていた。
その頃の以前に話を書いたけど
建具職人としては
この建具の盛んだった地域で
二十歳にして建具職人大会で2位になったそうです!
母には絶対に話さなかったけど
芸者とかも顔見知りだったようでした^^;
そんな江戸っ子でザ・職人だった父ですが
在日駐留軍基地で働いていた父は私に職人のすべてを教えていました。
日本のものづくり職人の粋な考え方です。
ものづくりのプロフェッショナルの条件ですので
ドラッカーに通じます!
1、諦めない忍耐力をつけろ
大人になって転職を繰り返した俺にウォークマン工場に入社してすぐに・・・
2、はじめは適当でもいいけど仕上げは職人仕上げ
(適当に正確にと父は説いていました)
3、お前が電気が好きならそのやりたいことを全て学べと
4、自分の作ったものを完全にするためにいつも見直せ(反省?)
父の建具は一発で完全にするものです!
ですが顧客に修理して新品を顧客にひとつだけ渡したって何十年も悔やんでいました!
職人としては完璧な出来上がり目指せって
修理をしたものを顧客に渡すなっていう心意気でした!
5、仕事をもらった時にその仕事に要求されることをよく観察して
より深く考えて理解・・・・
6、
7、8、9、10
理想があってそれを完璧な商品を常に求めろって・・・・
会社のものづくりで必要なものは
職人魂を持てって言う事だったらしいです!
カッコ良くいうと
プロフェッショナルの条件を並べて幼児から
職人になるために英才教育でした。
父の建具職人大会で2位の
プロフェッショナルの条件を幼児から見てきた!
建具職人大会の1位とは腕の差があったので
父も常に完璧な1位を目指して仕事をしていたような考えでした。
そんな父からの英才教育
それはどんな職の職人でも通じるように教わる!
普通はこういう人間はウォークマン工場でサラリーマンにはならないで
職人で生きていると思います。
小学生の頃に
はじめはラジオ製作する職人を目指していました。
弱電なら何でもよかったが
ウォークマン工場に吸い寄せられた
引き寄せの法則です!
スキーで初代ウォークマンを使いたかった青年です。
私が魔法のランプに注文したのは
ウォークマンでした。
そしたら
知らずにウォークマン工場に転職した偶然にです!
私の思考は現実になる!
マジでした!
不思議ですよね!
この不思議体験をしたいひとは
YOUTUBEで
ザ・シークレットを検索すれば情報がわかりますよ!
これは私は小学生5年生から使っています!
担任の先生から教育されていました。
私のクラスは特別授業をするっていうマエストロ先生の教え!
日本一になる方法でした。
願い事がかなう方法です!
何度もNHKのテレビ撮影が入っていました。
それはマエストロ先生から日本一の特殊な教育でした。
馬鹿だけどその特殊授業を受けたので魔法のようなことが使えます。
願えば叶うってマジリアルなシークレットな授業でした。
これはテレビ局には丸秘な授業でした!
金八先生よりずっと前の年代ですよ^^
マエストロ先生はマジで小学生がオーケストラを作って
NHKホールで演奏をしていました。
小学生ですよ!
もちろん地域代表で全国大会に出場!
本当に小学生で大人顔負けの演奏でしたよ!
私はこう見えてもなぜか馬鹿勉強は出来ませんでいたが音楽は得意です。
音楽の部屋でクラシックのレコードをかけたら
みんな目をつぶってください!
私はいたずら小僧で鉛筆を持って指揮者のものまねをしていた。
そっと目を開けたら
音楽の女の先生が最高にニコニコした顔で笑っていました。
こんな生徒は始めただったのではないかな?
だって俳優志願の子供でしたので
そのくらいは今の子供でもマエストロのものまねは、
やりますよね!
その音楽の女の先生は父の朝霞キャンプドレークの職人の先輩の娘でした!
これも偶然です!
久々に上野動物園に行ったのですが
その父の職人の先輩に子供がお世話になっていると報告しにいったのですが
そこに音楽の女の先生も一緒にいて挨拶をしました。
愛情たっぷりの母の笑顔にどことなく雰囲気が似ていました。
っていうか?
私の担任先生だったのか^^
それでも勉強はやらない子供でした。
でも音楽は好きだけどテストは嫌い!
おっと!
深く考えてしまうのがHSPですよね!
マエストロ先生に話を戻します。
日本一や世界一になる教育を私は受けていました。
ザ・シークレットの魔法のランプをこすることができる
方法を伝授してもらいました。
私はシークレットの引き寄せを自分なりに実践で経験を積んで
シークレット使い!になりました。
小学生で東宝映画のオーディションはその実験でした。
見事に合格!
わたしはゴジラの時代でしたけどね。。
浜辺美波ちゃんがいるところだったと思います。
中学になる時に母から勉強ができない馬鹿でも俳優を目指すのか?
それとも
お前の好きだった電気エンジニア職人をお勉強をして目指すのか?
マジで東宝映画の卵にはかわいい子ばっかりでしたから
知り合ってすぐにお別れするのは残念すぎて
私はすっげ~悩みましたよ!
でも弱電のものづくり職人も小学生の低学年から
半田ごてを持って半田付けをしていました。
東宝映画の俳優の道も映画の世界も夢があった!
でも小6で私が選んだ道は弱電関係の職人を目指しました。
子供のころから物事を深く考えていました。
子供のころからお方付けが苦手で大人になってもお片づけできない大人です!
HSS型HSPでしょう!
俳優のような映画の刺激が大好きで
でもすぐ飽きてしまう。。
マジでHSPそのものです!
一歩間違えば
特殊クラス入りするところでしたがマエストロ先生が
私を試した行動をしたのを憶えています!
人の行動を深く観察できる能力が小さいころからあるので
昼休みのみんなが全員ドッチボールをしているのに
私だけドットボールをしないで考え込んでいましたから・・・・
クラスのリーダーに俺を誘うように命令されたようで
俺が入っていいの?
いいよいいよとドッチボールを楽しんでいました。
マエストロ先生は私を今で言う
HSS型HSPとは昔は言わなかったけど
家庭訪問で私のことを
珍しく俺みたいな子供がたまにいますって
特殊クラスに間違って入ってしまう子供が私だったようです!
俺は普通だけど普通でない人間は自分でもわかっていました。
それは
勉強を全然やらない馬鹿でした。
それが普通でなく全然やらないとんでもない馬鹿でした!
だから
小学生の義務教育の勉強はなぜ?必要なのか?
考えた人はいなんじゃないかな????
私は職人の勉強を知らずに父から教わっていたようです!
それはドラッカー(アメリカ的経営の考え方)!
そんなとんでもね~小学生から東宝映画のオーディションを受けるくらいの
度胸がある人間でした。
しかも合格してんジャン!
誰にも話したことはありませんでしたので親友にも話していませんでした。
コロナ時代でこれは話しておこうかと最近話ましました。
エンジニアも俳優も両立できないので小学生で決断したエンジニア職人です。
半端ね~よ!
半端ね~馬鹿の誕生です!
そして
ドラッカーでシークレット使いの自分が
ウォークマン工場に入ってしまったら
もちろん
ひとりで勝手にマネージメントをしてしまって
それはイノベーションでした^^
とんでもね~
馬鹿が入ってきたって・・・・
ウォークマン工場を日本一にしたくてマネージメントを一人始めちゃった俺^^
朱に交われば赤くなる
ドラッカーの私がウォークマン工場に入社したらどうなりますか?
私が昔の考えに負けて私が赤くなるのか?
それはないですよ!
だから底辺の社員が勝手に組織のマネージメントをして改善を始めちゃった!
SONYトップの盛田さんがドラッカーとあとから知りました。
トップダウンがドラッカーで
底辺の私もドラッカーで
なにが起きたのか?
それは
トップダウンとボトムアップの改革でした。
ウォークマン工場は見学が毎日のように・・・・・・
小学生の担任のマエストロ先生の教えを思い出して
ウォークマン工場を日本一にしたくて動いた動いた
お給料は当時9万円でしたけど安月給でよく改善を繰り返していた。
私の強み弱みは自分で把握していたので私は前に出ずに
縁の下の力持ちでアイデアで改善していました。
赤影忍者のごとく縁の下の力持ちに徹していました。
それは顧客のために私の全力を使って仕事をしていました。
ウォークマン工場は日本一だったことでしょう!
いや世界一だったのかと思います。
日本を代表するウォークマン工場でした。
それは
私が入社したときはすぐに辞めようか父に相談したら
お前が全力で尽くしたのか?
それなら辞めてもしかたないけど
全力で体当たりしてみろって倒れるまでやってみろ!
ドラッカーの僕はぶっ倒れるまで改革を進めていました。
職人の父の教え=プロフェッショナルの条件
ウォークマン工場に入る前から父から職人教育は終わっていました。
朱に交われば赤くなる
その頃にはプロフェッショナルな職人さんがたくさんいました。
私の父から教わった
私の分身のような考え方が定着したように見えたが
それはトップダウンでも行っていたイノベーション!
ものづくりのプロフェッショナル
自ら改善を進める人がたくさんいました^^
ものづくりのプロの集団になっていました。
私が品質課に入社したら
この化学変化は起こらなかったと思います!!!!
私が製造部に所属していたから
ものづくりの職人として私にぴったり適合した職業でした。
これも願ったのは小学5年生のマエストロ先生の教えでした。
私はドラッカーとして職人の息子として育てられて
しかも
マエストロ先生の引き寄せのを使える魔法使いです。
最強の人間がウォークマン工場に引き寄せられて入社して
マジ運命的なものを感じましたよ!
人間の能力って考えた通りになる能力が絶対に備わっています!
私は小学生5年生からずっとプラス思考でした!
マイナス思考でいるとマイナスなことが起こります。
でも
プラス思考でいると考えたプラスのことが起こります!!!!
マジです!
だったら
出来ね~~って言う仕事はその人には絶対にできません!
やったことがない新しい仕事も同等です!
新しい仕事でそんなのムリ出来ないっていえばそれは絶対の成功することは出来ません!
ですが
出来る成功するって考えながら仕事をすると必ず成功していました。
この違いは自分が考えた思考にあります!
プラス思考、マイナス思考の考え方ありますが成功するのなら
プラス思考でいるのが正解です。
だって
絶対に成功するからです。
でもマイナス思考でいる人は必要です。
そういう意見がある人がいていろんな考えから保険もかけられます!
マイナス面は保険をかけるのです!
最近では自転車事故で何千万円の請求されたことから
自転車保険に入れといわれていますよね!
自転車事故で何千万円の請求って事故があるとは・・・・・
自転車で人に当たったらそんな事故があるなんて全然思わないよ!
マイナス思考の人は自転車で人を引いてしまわないか?
考えるはずです!
だからといって子供に自転車を与えないのは・・・
あなたの子供が事故の加害者になる可能性はゼロではないこと!
マイナス思考も人の意見も必要です。
保険も必要ですよね!
仕事の考えもマイナス思考は起こることもあるので視野に入れる!
それに備えて対策を考えるのもプラス思考です。
最後に顧客を満足させるためには不良品をごまかし修理したものは
顧客に出すなが職人の父からの教えでした。
建具を一度だけごまかし修理で顧客に渡してしまった父の反省でずっと後悔していました!
それは職人でもわからないごまかしの業です!
見た目は新品とかわらない建具ですが
修理したことで顧客に申し訳ないという心意気の父
失敗作ではないので顧客に渡したけど顧客は一生わからないという修理ですが
父としては一回で作って良品を渡す顧客に対する職人のこだわりでした(笑)
私が時計部品を作っていたときも父の教え通りに不良はゼロの世界にして働いていました。
そんな私がウォークマン工場に入社しちゃったら
どうなるのか?
わかりますよね(笑)
かなりお騒がせ社員になっていましたよ。
ではまた
PS
9万円のお給料で入社したが
私の願いは世界一の工場を目指して一人で動いていたことは
紛れもない事実です!
とんでもね~社員でしたでしょう!
もし底辺の人間が
職人の息子でドラッカー教育を受けてウォークマン工場に入社したら
勝手のマネージメントしちゃいますよね!
ウォークマン工場のもしドラってリアルだけどね!
リアルドラか?
俺って馬鹿でしょう^^
馬鹿しか見えない世界が
世界一のウォークマン工場が見えていました。
日本一の工場であったことは確かです!
でも
はっきりIPADにウォークマンの座が奪われたのも事実です。
その時に職を失いましたが私にはその原因は把握していました。
たぶん原因は・・・皆様の噂とはまったく違うものです!
普通の人間の10倍以上もの情報量を処理していると思われるHSP気質です!
私が気付いた時点で
入社した時のように組織を気にせずに喧嘩をすればウォークマン工場は守れたと思います。
ところがタイミング悪く
両親がそれどころでなかったのです。
入れ替わり入退院を繰り返していたので・・・・。。
救いの力にならなくてごめんね!
本来なら
私が影で新しいアイデアを出して会社を救わないといけなかった場面でした!
ウォークマン工場のお別れが母のお別れの時間になってしまった(涙)
マジ運命を感じています。
両親がウォークマン工場を私を通じて影で応援してくれていました。
母の出る杭は打たれる!アドバイスは参考になりました。
母も父も本当にありがとう!
∠(^ー^);
神様が私を見ているんじゃないかというような出来事でした!
そして
音質的にはSONYの技術にいずれ負けることを予知していたのか?
iPhoneに切り替えました!
この身軽さを見習いたいですよね。
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