ハカランダギターのいい音がしたのか?贅沢な壁全面がハカランダの生バンド用のクラブ!甘く危険な香りのするクラブ!

カセットプレーヤーの音職人になるまでの原点はどこにあったのか?

ウォークマンⅡを広める為に、
東宝タレントオーディションを合格したわたくしが一肌脱いだお話はしましたね。
日本中に広めたかった。
音楽ってステレオで応接間しか楽しめなかったのが野外でも楽しめる!

応接間のリスニングルーム!
いい音で視聴したいのはオーディオ関係者以外で誰もが感じます。

わたくしはギターを中学生から近所のジャズマンから
基本だけ習ってずっとカルカッシギターの教本を元に自力で弾けるようになりました^^
クラシックギターです。

内容は今考えればいろんなアルペジオ的な曲ばっかりでした。
クラシックギターからフォークギターになり
ハカランダギターに出会う!
音が全然違う!!!!
知らべるとハカランダの合板材でした。
合板でなくハカランダ材で作った物!!!!

幼児からハカランダの匂いは記憶にあって
木工職人の父がテレビ台の下のボックスにハカランダで作ったスライドの建具だった。

そういえば
この木工材料はもう手に入らない貴重な材料なんだって教わっていた。

それはハカランダが輸入禁止になったからだ。
でもなんで父がその材料を持っていたのか?

密輸か?
それは合法的なルートのハカランダだった。

私の記憶ではまだ幼児で言葉が話せないで泣くか笑うだけ伝えていたが
言葉は何を言っているのかはわかっていた時期があった。

以前は朝霞の神社の横に住んでいたので察しがつく人は
駐留軍基地にたどりつくと思います。

マジその通りです。
歌手がアメリカにあこがれて駐留軍基地で歌ったとかよく耳にします。

有楽町で逢いましょうのフランク永井さんは朝霞の米軍キャンプのクラブで歌っていたのは有名です。

朝霞キャンプドレークです。

日本はここから変わっていったのは明確です。
父もそれがわかっていたので
日本の為になるなら木工職人として働きはじめたって話の記憶があります。

そして、休日になると幼児の私を連れて
朝霞の駐留軍基地内につれてフリーパスで入れました。

絶対に迷子になるなよって言われていました。
キャンプ基地内に入るのは入れるけど出る時は厳重なチェックがあるからです。
おまえ、下手すれがその場で銃殺されるからな!!
釘をさされました。
実際にスパイが銃殺されたのを父は目撃したそうです。
事件が起こると門を閉鎖するので出られなくなるようです。

私が大きくなって話をしてくれて
父は大工仕事をしていたが
私は一日中で飽きてしまって歩き出してしまったのです。
おまえは迷子になって大泣きをしていたので参ったよって・・・・!
だって話も出来ないで泣くだけでしたけど
銃殺される話は理解していましたから銃殺されると思って大泣きしていた。
しばらく呼吸も出来ないくらい泣いたのは覚えています。

将校の司令官が入る建物を作っていて、そこは迷路になっていたと父から・・・・・。
アメリカの駐留軍基地に司令官が入る建物に入った子供は日本人で私ぐらいでしょうね^^
朝霞の基地内ではいろんな仕事もあって俺は木工職人として入ったのだから
上司に汚い仕事を命令されて俺は木工職人以外はやらない!
喧嘩してでも断ったって・・・・

それより
ハカランダのお話は
将校クラブの壁全部を超高級材のハカランダで作ったそうです^^
音響効果は抜群の世界にひとつの部屋を木工職人の父と数人で作ったそうです。
硬い材料で泣かされたって言っていました。
カンナとかノコギリとかすぐに切れなくなったって
一日何度も刃を研いだそうです。

日本のハカランダは父達がハカランダ全面ルームを造ったときのものと思われます。
その後もハカランダの合板が出来てその後もそれに変更して行ったと話していました。
ハカランダ化粧合板も父が加工したものです。

日本のハカランダ材のほとんどが
廃材とかその部屋を壊したときのハカランダですね絶対に・・・
木工職人の父がハカランダの将校クラブから出たものです。
駐留軍から民間へのお下がりのハカランダ材料です。

どんな音がしていたのか?
朝霞のキャンプドレークの将校クラブ
生バンドでフランク永井さんが歌っていたそうです。

そして
日本のナイトクラブも朝霞のキャンプドレークを真似ているのかと思います。
日本のナイトクラブの発祥の地です。

ハカランダのギターに出会い
幼児から父の横で日本の音響と深い関わり合いがあることに気が付きました。

ハカランダとはブラジリアン・ローズウッドのことで
今は輸入禁止で手に入りません。

ブラジリアン・ローズウッドって匂いがするんですね。
お花の香り
甘く危険な香りで大人の香りです!!

ギターの音色でわかりますが音色が違います。
それでハカランダの音響ルームっていうクラブの生バンド
いったいどんな贅沢な音がしていたのかは、今となっては未知の世界です!!!

日本のハカランダ材が米軍基地から
合法的に手に入れた人はギター職人がいるとおもいます。

将校クラブの音響用に壁全体に貼っていた事は
誰も知らないことでしょう(笑)

フランク永井さんは歌っていたので気付いていないと思います。
木工職人だった父も他界したので
もう話をしても大丈夫かと思います。
朝霞の駐留軍のキャンプドレークも存在はしないので・・・

たぶん
木工職人の父と私しか知らない日本でハカランダの贅沢な音楽ルームを作った情報です。
正確には朝霞キャンプドレークで駐留軍基地なのでアメリカ内ですけどね!

考えてみてください
壁全体がブラジリアンローズウッドですよ!!!

ブラジリアンローズウッドが輸入禁止になったのか?
結局はマフィアの資金源となっていたからだと記されています。
ハカランダとは
別名:ブラジリアン・ローズウッドのことで
お花の香りがして
甘く危険な香りがする大人の香りです。
そして
幼児からテレビの下のもの入れの開け閉めで毎日手でさらっていました^^

私の音職人の原点は
日本の音楽のギター音響の元となるハカランダ材に携わった木工職人の
父のDNAを受け継いだのかと思います。

この話はずっとシークレットでしたので忘れてしまっていました^^
だって父がスパイとみなされたら困りますしね。

アメリカ軍の司令官とかだからアメリカのトップクラスです。
日本では無名の建具職人で木工職人って言っても
アメリカ軍の司令官とは親しかった父!
日本を代表して平和を願って何でも頼みは聞いてやったようでした。
司令官と仲がよかったので日本の友好関係もつながっていました。

父がアメリカ駐留軍を去ってから
なんかアメリカ駐留軍と日本政府の関係が崩れてしまったようでした。。

ってなると
父の存在って今更ながら日本の平和を願って木工職人をしていましたので
重大な政治的な役割を果していたようですね。

ではまた。

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