⑰ウォークマン工場に入る前からドラッカーであった僕のアメリカ的な父の教え!

今ウォークマン2の基板をながめていますがスゴイ!
何がスゴイって?
それは半田付けです。
半田付け不良がほとんどない!
濡れ性がばっちりの半田の種類です^^

これには私も半田付けのプロですがビックリです。
レジストもパターン酸化もなく半田の酸化もなく
適度にフラックス皮膜が完璧です。

基板は刺し部品だからなのか?
部品不良はボリュームの中のプラスチックの劣化ぐらいです。

半田付けは
父から買ってもらったのは小学生4年生だったかな。
お勉強もしないで遊び歩いていた少年でした。
この子供は大人になっても運動は出来ないでしょうって言われていたから
私の好きに外で遊ばさせていただきました。
でも
遊びとラジオやテレビの分解して部品を取っていましたよ!
小学生ですよ^^
テレビも馬鹿でっかいコンデンサーをショートさせてから
安全を確認して分解をしていました。
修理スキルを磨いていましたよ!
私の父は何でもいいので手の職をつけろとずっと言っていました。
お前の好きな職人を目指せばいいって言ってた。

小学生でしたけど夢はラジオ製作のものづくり工場でのエンジニアでした。
ずっとゲルマニュームラジオで放送が入るのが不思議でね!
だって電気の電池がない????
幼稚園に上がる前から大人の考えだったので
生意気な子供だったのでしょうね。。
いじめられたのは今更ですが生意気だったのか^^
馬鹿でしょう!

そう!
勉強をしなかったのは言い訳になりますが
身体が大人になっても激しい運動は出来ないでしょうって言われていた。

今でも同級会では中学のマラソン大会の私と含めて3人が一緒に走っている激写の写真を!
卒業写真に私が苦しい顔をした写真です。
普通の体育の得意な中学生と同等に走っていました。

それは小学生のときに外で汗かいて遊び歩いた結果です!
そんのかわりに中学生では一生分のお勉強をしていました。

それより
半田付けですけど
半田付けは小学生4年からですから半田暦は長いですよ!

アーク溶接、ガス溶接も免許を取ったので溶接は得意です。

それにしても
SONY WM-2の基板の作り方は強度を考えた設計にぶったまげ~!
もう忘れていました。

40年前の半田付けは完璧でした!
初代ウォークマンも中古を購入して基板を見ましたが完璧でした。

基板職人も完璧ですよ!
なつかしいですね^^

ではまた

PS
今でいう秋葉系の小学生でしたけど
家に閉じこもっている秋葉系とは違いますよ!
エンジニアを目指していたけど
外の新鮮な大自然の空気が吸える地元の環境ですから
大自然の川原で遊び歩いていました。
だって家の裏が川のちょろちょろと流れる小川があったので
遊ぶって言っても声を出せば家の中にいる母に聞こえる場所でした。
今の秋葉系とはだいぶ違いますけどね!
中学では埼玉からよく秋葉に電気好きな奴を集めて遠征していました。
映画もね^^
秋葉でごちゃごちゃのお店のなかを部品が並んでいる中から部品を探していましたね^^

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