③ウォークマン工場に入る前からドラッカーであった僕のアメリカ的な父の教え!
1981年当時から私のボトムアップ改善では
駄目だめ上司をマネージメントすることです。
私のアイデアを上司にうまく伝えて
縁の下の力持ちで
上司の成績にすることでした。
入社当時から私のアイデアで出世した人は多いのではないか^^
その方が顧客満足度が早く改善できるので
私のお給料の9万円は置き去りで顧客優先のお仕事に専念していました。
改善千本ノックで持続性イノベーションをずっと進めていました。
でも
これをチマチマ改善と言われていて
おふざけでないと私は改善を一切やらなくなりました。。
おいおい部下のやっていることを
チマチマだと(怒)
聞き捨てならぬお言葉でした!
だって
職人の言葉でチマチマしてるんじゃね~よ!
それは最低の行動をしておせ~んだよ!
そういう意味です!
本当に馬鹿上司でしょう!
改善千本ノックで持続性イノベーションを
チマチマ改善だって
千本ノックの改善は一時中断でした。
これは緊急事態ですよ!
マジで会社を辞めようか思っていました。
だって
その上司のいうチマチマも私は全部首をかけて改善していたんですよ!
失敗をしたら辞めるつもりでいました。
でも100%成功していたからいいようなものを
それをチマチマと改善しているってどうなのよ????
は~~~~~~~~~~?
俺に喧嘩売ってるのか???????
俺より馬鹿が上司でいました^^
馬鹿な振りをしてるのか?
たぶん昨日のお酒が残っていたのでしょう????
酔っ払いに首をかける馬鹿でもない自分ですので
首をかけて改善千本ノックは中止でした。
俺を上手くつかってくれれば出世できるのに!
改善はやらない社員でお給料の分だけ働くスタイル!
昔のスタイルの組織に戻っていました。
その頃には私が組織改革で壁だったものを他の上司が取ってくれていて
品質アップ、効率アップ、経費削減アップ、など多くの改善を同時に行っていた。
内容は言えませんけどね!
効果は絶大です!
他の会社も真似して皆さんの知識にある経営方法にしています。
そのスタイルの大元を私が首をかけてイノベーションしたものです。
上司にお手柄にしてもらって横展開をしていただきました^^
酔っ払いの馬鹿上司にはお手柄はなしでした。
だって首かけて改善しているのにチマチマ改善ってそれはないですよ!
マジで会社を辞めようか考えましたよ!
私はイノベーターですけど底辺の人間はつぶされるのはわかっているけど
こういう形でつぶしに来るか???????
気持ちを取り直して
千本ノックの改善ははじめましたけどね!
だから
ボトムアップ改善で
上司をマネージメントが必要でした。
ドラッカー思考の上司なら
お手柄は僕を理解してもらったお礼に上げてしまう!
HSS型HSPの人間を理解してくれていなかった上司には
私が上司をマネージメントする必要があった。
レベル低すぎ上司には自分でアイデア気付かせるようにヒントをあげる!
だけど気付かない???????
めんどくせ~ので
自分で意見を言うようになりました。
メモを取らない自分を見て上司はメモを取らないのか?
5項目くらいあったかな?
ハイ!憶えられますので・・・・?
上司が気分がよくなるらしくて
メモを取るふりをしていましたね。
メモの内容はへのへのもへじでしたけど^^
管理者の教育を受けていたのでしょう!
部下にメモを取らせる!
命令されたことは全てこなしてから
先本ノックの改善をしていました。
それはチマチマ改善と言わなくなったので・・・・・
私は職人の息子として職人魂で育てられたので
一人で命令されないで動きたい
頭を抑えられると自分の技術は発揮できない体質なんです!
自由な創造できる職人として育ったのでっていうか?
HSS型HSPの性格を気質を両親は認めてくれていたので
一人で仕事がするのが楽で自由な発想が湧き出てくるのですよ!
サラリーマン向きではないので
普通の上司では扱えなかったのではないでしょかね???
こうと思ったら首をかけてでもすぐにでも実行していました。
でも一度も失敗をしなかった^^
小さな改善からはじめて大きい改善までも出来るようになっていました。
失敗したら辞めるつもりでした。
そんな僕を途中からプロジェクトに入れられて
意見もいえないただの駒扱いの一員となったことがありますが
それは私の意見がないのでそれは失敗に終わりました。
俺をうまく使ってくれれば成功できるのに・・・・・
私は秘密のミスターXでした^^
私は会社にいけないと半年間もお休みをいただきました。
周囲ではうつ病と思われていたのかと思います。
ですが今噂のHSPです。
しかも
常に刺激を求める
チャレンジャーのHSS型HSPで
私にはサラリーマンは苦痛にしか思えませんがまた刺激がほしくて
会社に出社!
会社も私の気質と才能を理解してくれたようで
その後も世の中が変わるほどのアイデアを出していました。
なぜ?
世の中が変わるのかは因数分解して理解していました。
それはSONY工場だったからです。
SONYの看板を背負っているから私のアイデアを使ってもらえた!
今はぼっんくらおやじがアイデアを出しても世の中は変わらない!
あの場所で働けたことは今では感謝しています。
私の今も宝物です!
でもですよ!
私の考えたことは思考は現実化する
これは未だに続いています!
これマジです!
不思議ですけどマジ!
なのでまだまだ
考えますよ!
生きている限り続けます!
それが私の使命のようです。
アメリカ流って言う経営が
SONY工場で私がウォークマン2当時から行っていたことは
ドラッカー思考だったようです。
そして
当時からドラッカー経営をしていた盛田さま!
だから
ウォークマンというものがそこから生まれたんですよね!
これって井深さまのアイデアがあって
盛田さまのドラッカーがいたからウォークマンが流行りだしたんですよ!
それは
ドラッカー経営はイノベーションだけでは成り立たない!
顧客満足するためにはどうしたらいいのか?
それがウォークマン2開発です。
ドラッカーでいうイノベーションともうひとつ
マーケティングです!!!!!
ドラッカー経営は
イノベーションとマーケティング
このふたつから成り立っています。
井深さんがイノベーションに気がつき
盛田さんがマーケティングを担当で開発
そこから爆発的流行したウォークマン!
これをさらに因数分解していた底辺の社員の
アメリカ流の働き方でわたくしが動いていました!!
その点と点を結ぶものは
アメリカ流というドラッカー経営でした。
私は吸い寄せられるように
ウォークマン工場で働くことになった!
不思議です!
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